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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
154:2002/10/30(水) 23:24AAS
中根東竜 2001年11月11日日曜日 17時58分
どうも、ご無沙汰の中根です。
>『新唐書』宰相世系表
なんか懐かしいなぁ。いや、4年ほど前「『三国志』の注釈を
全部読破してやろう」と思って注釈だけまとまった『二十四史補編』
なる中国書を読んでいたことがあったのですが、そこの賈クの
箇所の注に『新唐書』宰相世系表が引用されていたのですよ。
んで、賈クには賈疋なる孫がいた、そうで・・
>玉川さん
>これらの系譜、マジならそれはそれでアレですが、
偽造(^_^)してまで繋げたとして、それだけの価値があるということなのでしょうか。
価値はあったでしょうね。唐の時代はまだ貴族社会の色が濃い(庶民から科挙を通って朝廷に仕官した官僚と、貴族が派閥争いをやっていた)んで、庶民上がりや元来中国人ではない人でも名門の末を主張した人物は結構居るのではないでしょうか。貴族社会は能力より血筋を
重んじますからね。
それで『三国志』系マイナー武将を子孫と称した人物が多かったのでは?記録がない人物なら文句はいわれませんから。
もしつっこまれても「家に伝わる記録ではこーなのじゃっ!」
と言い返せるので。
まあ、怪しいといえば怪しいのですが。怪しい具体例を挙げると、隋の皇帝の楊家は「楊震の末裔」を称していたのですが、現在の学界では「騎馬民族・鮮卑族の末裔」とするのが定説化しているようです。
>関龍逢
左平(仮名)さんのおっしゃる通り、夏王朝末の人ですね。
結構諸子百家の世界では有名人で、「暴君を諫めて殺された賢臣」
として『韓非子』などに登場します。なお、『韓非子』の有力な
注『韓非子翼毳』(かんぴしよくぜい)に依れば、大本の
出典は『韓詩外伝』だそうです。
なお、宮城谷昌光氏が関龍家とする根拠はよくわかりません。
王雲五氏の『辞源』では「関・龍逢」として区切っています。
関姓という説もあるのでしょうか?まあ、『韓詩外伝』を
見ないとわかりませんが・・
>老子がいずこともなく去っていく時、その思想を書き残してもらった、関所の役人。
これは関尹喜(かんいんき)のことですね。ただ、この人の名は
「尹喜」で「関所役人の尹喜」が「関尹喜」となっているみたいですよ。関姓ではないようです。
>もっとも、関所の役人だから「関(所の)喜」といっただけかも知れませんが。
そういう説を中国の故・郭沫若氏は主張していたようですね。「関尹喜」は「関尹」(関所役人)という普通名詞であり、固有名詞ではないと。
まあどっちにせよこれも調べないとなんともいえませんが。
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