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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
179: 2002/10/31(木) 00:23 左平(仮名) 2001年12月10日月曜日 20時18分 急に以前のスレッドを上げますが、ご容赦下さい。 ↑で私がちらっと言った江戸家猫八(本名、岡田六郎)師匠が亡くなられたそうです。享年80歳。 まごう事なき清和源氏の棟梁である、名将・源八幡太郎義家の(実際はその家臣の、らしいです)子孫という猫八師匠のご冥福をお祈りします。
180: 2002/10/31(木) 00:24 ぐっこ 2001年12月10日月曜日 20時34分 ああ、私もこのスレ上げようと思って帰ってきたところです〜! いまテレビでさかんに声帯模写とか映ってますよね…。謹んでご冥福をお祈りします。
181: 2002/11/01(金) 21:50 おばら あ゛〜クッキーが腐ってるぅー。 いつも変にアジテートして去って行くおばら再登場ですわ・・・。 今日は陸家のお話ということで。 陸[門+広]、字は子春。AD25〜AD55のどこかで尚書令になってます。美男子だったようで、越産の布単衣を着て、光武帝に気に入られたそうな。陸賈の子孫かなんかですかね? その孫が陸續、字は智初。故郷の会稽郡郡守尹興の下で貧民救済してます。そのとき粥を振舞った600人以上の人の名前を覚えていたとか。楚王劉英の謀反に連座し拷問されるも、母の「真四角の肉・一寸の葱」の差し入れで孝行者として赦免される。一生仕官できずに老衰死。 続の長男が広陵郡太守陸稠、次男が楽安郡太守陸逢、末子が陸褒。 陸褒は学を好み孝行者。名誉を捨て、志を貫き一生仕官せず。 褒の子が陸康、字は季寧。義烈を称され臧旻に茂才に推挙され高成県令になる。武陵太守・桂陽太守・楽安太守と、後の孫呉の重要都市の太守に就任。銅人を造ろうとして百姓への増税を図る霊帝を上疏して諌め、大不敬罪を劉岱によって救われる。故郷呉へ強制送還させられ、後廬江が、賊の黄穰ら+江夏異民族連合=10余万人で騒がしくなったので、陸康は廬江太守に任命され悉く賊を降す。その功績で孫の陸尚は郎中に。 その後、袁術が寿春で飢え陸康に食料援助を頼んだときに断った為、袁術配下武将の孫策に攻められる。陸康は2年間篭城するも、70歳で病死。城は落ち、一族百人以上が餓死・病死。朝廷は彼の節義を憐れみ、子の陸儁を郎中に任命しています。末子の陸績は先に城から落ちていたために助かっています。 以上、後漢書の要約でした。誤訳あったらゴメンナサイm(_ _)m あとは、正史三国志の陸遜陸績陸瑁の伝にある通りです。 誰か「陸家その後」続けてくれないかにゃ〜?晋代とか・・・。(←煽ってマース^-^;;
182: 2002/11/01(金) 21:50 ぐっこ 2001年12月23日日曜日 23時25分 うぐお! 陸家のご先祖様たち!情報ありがとうございます! いま系譜つくろうと思ったんですが、何故かADSLがストップしてしまい、細々とアナログ接続してますので、また後日(;^_^A どなたか書いてくださらないかな…←オイ たしか玉川様が晋代の陸家にお詳しかったような…(逃げ腰)。 実際、玉屋にある系図等(2ちゃんねるで大活躍中)にあったハズ…。 なるほど〜、呉の名族陸氏も、いろな歴史を経ているわけですね…。 意外に格好いい陸康! 蒼天航路では散々でしたが…。
183: 2002/11/01(金) 21:51 玉川雄一 2001年12月25日火曜日 01時00分 …うぐは! 陸機、陸雲は香香さんにお任せして(←責任転嫁)、 せめて陸曄でも調べてみるとしますかにゃ。 …ところで、誰が2ちゃんに紹介したんだろう? 私、松竹梅さんのBBSで見るまで知りませんでした(^_^;)
184: 2002/11/01(金) 21:51 おばら 2001年12月25日火曜日 02時03分 2ちゃんですが、初めて2chを恐る恐る覗いたとき、たまたま春秋戦国スレだったのですが、なんとぐっこさまにお贈りした拙系図が紹介されてましたよ・・・。なんだか、私の系図とぐっこさまの考察について色々言われてましたが。(笑 以後、一ヶ月に一回くらいでしか2chは覗きませんねぇ。 私、ああいうの苦手なんですよー。(^-^;; っつーか、2ch用語もあんまり解らないので(T▽T) >玉川さま 玉屋が引用されてるスレを今見てきましたよ〜。 うむむ、盛り上がってますな。ホントに一体誰が・・?(笑 それと、『晋書』からの救援、お待ちしておりますm(_ _)m←他力すぎ あと、陸家をさらに遡れる方いらっしゃったら、是非是非教えてください。結構気になっているので・・・
185: 2002/11/01(金) 21:51 NOB 2001年12月25日火曜日 04時53分 こんな時間ですがこんばんは〜(^-^) つい最近(読んでる暇はないのですが)読んだ論文に、「孫呉政権と陸氏の群像」(松本幸男、「学林」22号1〜30)というのがあり、黄帝(爆)から魏晋まで陸氏をたどっていました。出典として引かれているのは史記陸賈伝索隠に引く『陸氏譜』、『元和姓纂』、おなじみ『新唐書宰相世系表』などです。 長いですが、書いてみますね〜。 黄帝-昌意-センギョク-窮蝉-敬康-句望-橋牛-瞽叟-舜……【陳】胡公-申公-孝公-慎公-幽公-釐公-武公-平公-文公-陳他-田完-稺-ビン-須無-無宇-乞-常-盤-白-【斉】太公-桓公-威王-宣王-達(ここから陸氏らしい)-發-萬-烈(続く) 途中、本筋と関係のない兄弟などは省きました。ちなみに陸烈の従甥が、史記に伝の立てられている陸賈です。陸烈のときに呉に移ったそうです。(ちなみに陸賈は祖父が楚に移っているので、楚人になってますよね) 陸烈-[目于]-鴻-建-曄-恭-[王黄]-文-親-衆-賜-[門+広] 事跡などは一切書きませんでしたが一応[門+広]までたどり着いたので、後は玉川さんにお願いします!(爆) それではおやすみなさい〜(汗)
186: 2002/11/01(金) 21:51 香香 2001年12月25日火曜日 13時16分 うお!陸家ネタですね! それにしても、NOBさまの系図すごすぎます(汗)。黄帝からスタートしているし(爆)。私が知っているのは三国志の範疇においてだけですので・・・。 お忙しいのに、有難うございます! って、私が言ってどうする(爆)。 それでは、玉川様、よろしく(~_~;)! 晋書の陸機・陸雲伝をナナメ読みした時、この二人の列伝はヤケに小説めいているというか、よく書かれ過ぎているな〜なんて思ったもんですが(笑)。他の人のも読まないとなぁ。メジャーな人物意外全然読んでませんから(滝汗)。 いや、それ以前に読めません(爆)。「解体晋書」がたよりです(~_~;)
187: 2002/11/01(金) 21:52 おばら 2001年12月25日火曜日 16時09分 うを!さすがNOBさま・・・。 っと、史記陸賈伝索隠の引用ということで、触発されて私も中華書局『史記』レキ生陸賈傳第三十七を見てみました。 『陳留風俗傳』はこう伝える。「陸氏、春秋の時の陸渾國の後裔なり。晋侯が陸渾國を討ったために、陸渾子は楚に逃げた。陸賈はその後裔なり。」と。 また『陸氏傳』はこう伝える。「斉の宣王の子、達は陸で食菜す。達は發を生み、發は皋を生む。皋は楚に住みつき、陸賈はその孫なり。」と。 うーわ〜、すんごい適当な訳だ(T▽T) >NOBさま 卒研どうっすか?こっちは・・・ぐへっ。
188: 2002/11/01(金) 21:52 玉川雄一 2001年12月25日火曜日 19時41分 あらら、また回ってきてしまった(^_^;) えー、では陸康の方は… 陸績の子の会稽南部都尉・陸宏と長水校尉・陸叡、張白に嫁いだ娘の鬱生ですか。これで打ち止め(?)のようです。 陸遜の方は…皆様ご存じでしょうが(笑) 陸延と陸抗。陸抗の子は晏、景、玄、機、雲、耽。 下の三人は揃って303年に死亡。一網打尽ですね。 ちなみに機の子の蔚、夏も同じ年に亡くなっています。 また、陸遜の弟の陸瑁とその子までは呉書に載っていますね。 陸瑁の子は滂、喜、英、偉、顔。喜の子が育。 で、陸英の子の陸曄(士光、261−334)が晋書に立伝されています。 「陸曄字士光、呉郡呉人也。伯父喜、呉吏部尚書。父英、高平相、員外散騎常侍。曄少有雅望、従兄機毎稱之曰、『我家世不乏公矣。』居喪、以孝聞。同郡顧栄與郷人書曰、『士光気息裁屬、慮其性命、言之傷心矣。』」 …で始まるのですが、コレって褒められてますか? 当初は文官ちっくに昇進したようです。散騎常侍、侍中、尚書、州大中正、光禄勲、太常、尚書左僕射、太子少傅、左光禄大夫… また軍事にも携わったようで、蘇峻の乱を平定して衛将軍になったり開府儀同三司にしてもらったり爵位を勧められたり。 「峻平、加衛将軍、給千兵百騎、以勲進爵為公、封次子暇(の編が古の字)新康子。」ってありますが… 密かに次男が陸暇(の編が古の字)だというのでしょうか。今発見♪ で、後に郷里に帰り、74歳で亡くなったとか。追贈して侍中、車騎大将軍。おくりなは穆。子の[言甚]は散騎常侍になりました。 …陸曄はこないでいかがでしょう? あと、弟の陸玩の伝もくっついていたりしますが(^_^;)
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