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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
229:2002/11/02(土) 15:45AAS
惟新 2002年07月23日火曜日 21時35分
そんな話があるんですか! 面白いですね〜
顔之推が族孫なら、五代後の子孫の顔真卿も族孫ということに。
…顔良、実はものすごい人だった!?
230:2002/11/02(土) 15:45AAS
ぐっこ 2002年07月25日木曜日 21時41分
うーむ! もす様感謝! ……うー、言われてみれば確かに、どこかでその話を聞いたような来もする…どこだったか…(;^_^A
顔氏家訓は、たしか世説新語と同綴で一通り読んだと思うんですが、綺麗にとばしてました…
省9
231:中根東竜2002/11/28(木) 01:27AAS
お久しぶりです。
>顔回の子孫が顔良
顔之推の子孫、顔真卿が自分の家の家系を書いた、
『顔勤礼碑』という石碑資料がありますが、
省15
232:★ぐっこ2002/11/30(土) 17:42AAS
お久しぶりでっす。
あ、顔真卿が自分でそう言ってるわけですか…(^_^;)
となると、『顔氏家訓』の「漢末 有 顔良」
って一文は、なぜ紛れ込んだんだろうか…
顔之推の代もだいぶ後なので、状況も資料の保存状況も
省13
233:★玉川雄一2003/10/18(土) 17:09AAS
安定皇甫氏スレ立てようかと思ったんですけど自重して。
何かと紛糾する謎の「皇甫堅壽」について一考。
私は、少なくとも「堅壽」という一人であって、「堅」と「壽」の二人ではないと思います。
そして、この時代からしてやはり「堅壽」は字ではなかろうかと。
避諱処理がかかってるんではないかしら。(このレベルの扱いだと避諱があっても註が付かない場合がある)
省24
234:★玉川雄一2003/10/18(土) 17:16AAS
しもた、肝心な所が読みにくくなってる!? カンマが半角じゃ分かりにくいですね。
「堅壽亦顯名」の部分、もし堅と壽が別人なら「堅,壽亦顯名」と表記されるはずだろう、ということです。
235:★玉川雄一2003/10/18(土) 18:36AAS
「『〜とは書いてない』は『〜ではなかった』の証明にはならない」のを承知で敢えて付け足しますと、
人名を並記する場合は「,」で区切る(標点本)の他に「並」などを挟む場合もあります。
「堅並壽亦顯名」のような。
もう一つの方向性としては、こういった表記方法(連続して書く)が
別の個所にも存在するかという検証もありますね。(気の遠くなるような話…)
省12
236:名無し2003/10/18(土) 21:36AAS
繋がってますよ>中華書局版
237:★玉川雄一2003/10/18(土) 23:27AAS
む、やはりそうでありましたか。
一つ繋がりとして解釈するのが妥当なのでしょうね。
名無しの救世主様、情報提供ありがとうございました。
今度は、皇甫叔献の存在のウラを取らねばなりませぬな。
まずはまた世説新語ひっくり返さないといかんのか… 楽しいけどしんどいですな。
省7
238:japan2003/11/02(日) 23:34AAS
>玉川様
遅レスですが、文学第四の68の注に引用されている王隠の『晋書』ですね。
>皇甫叔献の存在のウラ
「祖父皇甫叔献はハ(さんずいに覇)陵令、父皇甫叔侯は孝廉に挙げられた」とありますが、
(1)父と子の諱に同じ文字が使われていることは99%ありえない
省21
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