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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
130:2002/10/30(水) 00:45
おばら
左平(仮名)さんに煽られてまたまた登場(笑
正史『三国志』蜀書をよんでいると、どマイナーな人物、來敏を見つけました。彼は後漢光武帝の姻戚來歙(字は君叔)の後裔とのこと。
そこで來家の調査開始!(←暇人
遡れる限界は、來漢。
前漢武帝の時、光禄大夫に任命され南越と衛氏朝鮮を討伐した楼船将軍楊僕を補佐したとのこと。
次に、來漢の孫の孫、來仲。
前漢末期の哀帝の時、諌大夫になったとのこと。
そして、來仲の子、來歙と來由。
來歙は劉秀(後の光武帝)の一族でもあり、後漢王朝成立に参加。羌を鎮撫し、蜀で最後まで抵抗を続けていた公孫述を攻めるが、公孫述の暗殺部隊に刺されて死去。光武帝は驚愕し落涙。
弟の來由は、光武帝が來歙の忠節を讃えて由をとりたて、宜西侯となる。
來歙の子は來褒。
來褒の子は來稜。
明帝の娘を娶るも、早世。
來稜の子は來歴と來[示止]と來超。
來歴の記述はたくさんあるのでカット。(訳せないだけ^^;)大鴻臚の官についたまま死去。
來[示止]は歩兵校尉に、
來超は黄門侍郎になる。
來歴の子は來定。
彼は安帝の妹を娶り、官は虎賁中郎将になる。
來定の子は來虎と來艷(←は略字。さらに略すと艶)。
來虎は桓帝のとき屯騎校尉になる。
弟の來艷は学者肌で、靈帝のときに司空になる。
ココまでが後漢書の内容です。
以下が三国志の記述です。
來艷の子は來敏。
後漢末の乱を避け、蜀に逃亡。学者として名高く、劉璋、劉備に優遇される。しかし行動・発言が異常だったため、免官・起用を何度も繰り返す。蜀では一番の困り者?? 97歳の高齢で死去。
來敏の子は來忠。
來忠には父の面影があり Σ ̄□ ̄;; 姜維を補佐して参軍になる。
以上が調査結果です。
その後の來家、どうなったのでしょうか?
『晋書』には來家はもう出てこないのでしょうか?
情報求む!!(ナニヲ偉そうに言ってんだか・・^^;;
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