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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
232:★ぐっこ 2002/11/30(土) 17:42 お久しぶりでっす。 あ、顔真卿が自分でそう言ってるわけですか…(^_^;) となると、『顔氏家訓』の「漢末 有 顔良」 って一文は、なぜ紛れ込んだんだろうか… 顔之推の代もだいぶ後なので、状況も資料の保存状況も だいぶ違うでしょうけど、本人がことさらにそう言うほど、 胡散臭い系図が手元に残されてたということか… もし、本当に顔良が顔回の子孫だったら、また袁紹軍団の 別の一面が見えてきそうで面白そうだったんですが…残念… ところで顔良って本当に臨沂の顔氏なんでしょうか…?
233:★玉川雄一 2003/10/18(土) 17:09 安定皇甫氏スレ立てようかと思ったんですけど自重して。 何かと紛糾する謎の「皇甫堅壽」について一考。 私は、少なくとも「堅壽」という一人であって、「堅」と「壽」の二人ではないと思います。 そして、この時代からしてやはり「堅壽」は字ではなかろうかと。 避諱処理がかかってるんではないかしら。(このレベルの扱いだと避諱があっても註が付かない場合がある) 原文によれば「堅壽亦顯名,後為侍中,辭不拜,病卒.」(漢籍電子文献の後漢書皇甫嵩伝)とのこと。 もし堅と壽の二人ならば、通例では「堅,壽亦顯名〜」というふうになるはずです。 標点本では、諱にしろ字にしろ別個の人物の名は「,」で区切るのが通例かと思われます。 また、劉表伝では「二子:[王宗],[王奇]〜」あるいは劉焉伝では 「焉四子,範為左中郎將,誕治書御史,璋奉車都尉,並從獻帝在長安,唯別部司馬瑁隨焉在益州〜」 とあるように複数人の子がいる場合には「○人」と最初に挙げている場合もあります。 やはり、「堅壽」は一人と見る方が妥当だったりしませんかね。 ちなみに私の「堅壽&叔献兄弟説」はもう一度世説新語(の註)を確認してみます。 なお、ある書物に載っていなくても別の書物から係累がたどれる場合もありまして、 例えば温恢は魏書温恢伝において子は温生一人しか記されていませんが、 晋書温羨伝によると、温恢の子としてもう一人温恭という人物が存在したことになります。 また同甘卓伝によれば、甘寧の子は呉書甘寧伝に載る甘カイの他に甘述がいたことがわかります。 その世説新語註のソースが信頼に足るものかどうかは、追って調査する必要がありますね。
234:★玉川雄一 2003/10/18(土) 17:16 しもた、肝心な所が読みにくくなってる!? カンマが半角じゃ分かりにくいですね。 「堅壽亦顯名」の部分、もし堅と壽が別人なら「堅,壽亦顯名」と表記されるはずだろう、ということです。
235:★玉川雄一 2003/10/18(土) 18:36 「『〜とは書いてない』は『〜ではなかった』の証明にはならない」のを承知で敢えて付け足しますと、 人名を並記する場合は「,」で区切る(標点本)の他に「並」などを挟む場合もあります。 「堅並壽亦顯名」のような。 もう一つの方向性としては、こういった表記方法(連続して書く)が 別の個所にも存在するかという検証もありますね。(気の遠くなるような話…) …ここまで来て思いだしたのですが、中華書局の二十五史シリーズって、 固有名詞(人名、地名、書名など)に傍線を引っ張ってあるんですよ。 で、この部分がどうなっているのかしら。 「堅壽」ひと繋がりで傍線を引いてあるか、「堅」と「壽」と区切って引いてあるか。 どなたか中華書局版をお持ちの方いらっしゃらないかな。
236:名無し 2003/10/18(土) 21:36 繋がってますよ>中華書局版
237:★玉川雄一 2003/10/18(土) 23:27 む、やはりそうでありましたか。 一つ繋がりとして解釈するのが妥当なのでしょうね。 名無しの救世主様、情報提供ありがとうございました。 今度は、皇甫叔献の存在のウラを取らねばなりませぬな。 まずはまた世説新語ひっくり返さないといかんのか… 楽しいけどしんどいですな。 やはり図書館借りじゃなくて自前で持たねばならん時が来るのだなあ。
238:japan 2003/11/02(日) 23:34 >玉川様 遅レスですが、文学第四の68の注に引用されている王隠の『晋書』ですね。 >皇甫叔献の存在のウラ 「祖父皇甫叔献はハ(さんずいに覇)陵令、父皇甫叔侯は孝廉に挙げられた」とありますが、 (1)父と子の諱に同じ文字が使われていることは99%ありえない (2)後漢〜晋代にかけての士大夫は<名が一文字+字が二文字>のパターンが大多数。 という二点から考えると、この「叔献」「叔侯」は字と見てほぼ間違いないでしょう。 「『叔』献」という字は上に兄がいたことを予想させます。 「堅壽&叔献兄弟説」とも矛盾しない考え方ですね。 (弟が『叔』なのに兄が『伯』『仲』でないというのは 荀揩フ息子達にも見られるパターンですし) 残念ながら正史の方の『晋書』皇甫謐伝には、 彼の父&祖父についての記述はありませんでした。 (曽祖父が皇甫嵩である旨は記してありましたが) 後は、張奐を自分の後任に推薦したという皇甫規や、 下辨の丞を務めた皇甫彦、安定太守の皇甫隆あたりも この一族の出身のようですね。 ヒソーリと活躍してるなぁ、安定の皇甫一族…
239:★玉川雄一 2003/11/03(月) 01:39 japanさんフォロー感謝です。やはり、字なのでしょうね。 しかし、安定皇甫氏は「叔」の字がよほど好きなのでしょうか(^_^;) 晋書に立伝された皇甫重の字も「倫叔」だし… 皇甫重は西晋時代に、また皇甫真なる人物が前燕〜前秦に仕えて活躍したそうですね。 学三のトウ艾スレに書いてあります。 http://gaksan2.s28.xrea.com/x/cgi-bin/12ch/read.cgi?bbs=gakuenn&key=1012041484 やっぱ地道に頑張ってるんですねえ。
240:japan 2003/11/08(土) 12:46 先祖・子孫というほど遠く離れてはいませんが、 西晋の名将・羊コの血統はなかなか凄いものがあります。 母方の祖父が後漢の大儒である蔡ヨウ、 おばは流転の女流詩人・蔡文姫。 義理の兄が司馬師で、義理の父は夏侯覇。 おまけに父の先妻は孔融の娘。 おじである羊耽の妻は賢婦として名高い辛憲英(辛ピの娘)で、 彼女の曾孫が西晋・前趙の二朝で皇后に冊立されるという 数奇な運命を辿った美女・羊獻容。 ちなみに、羊コが夏侯覇の娘を娶ったきっかけは、 夏侯覇の弟である夏侯威が泰山郡に赴任した際に 羊コの人となりを高く評価し、姪と縁付けたというもの。 この夏侯威の後妻は蔡氏(蔡ヨウの一族であるかは未確認)。 夏侯威の次男・夏侯荘は羊耽と辛憲英の間に生まれた娘を妻とし、 その息子が美貌の詩人として名高い夏侯湛である。 ……文字だけで書くと何がなにやらという感じですが、とりあえず ・[言焦]の夏侯氏:魏の帝室と累代縁戚関係にある名門。 ・泰山の羊氏:晋帝室と縁が深く、軍事・政治双方から司馬氏を支えた名家。 ・陳留の蔡氏:漢末の争乱で痛手を負った学者一族。 この三つの家は幾度も婚姻を重ね、優秀な人材を輩出していたようです。 西晋辺りになるとかなり貴族制が進んできたようですが、 羊コの血統表を眺めているだけでもその一端が感じ取れるような…
241:japan 2003/11/08(土) 13:09 ※おまけ:夏侯淵伝の疑問について 夏侯淵伝の裴注に引く『世後』に以下のような記述があります。 「夏侯荘は、晋の景陽皇后の姉の夫に当り、そのおかげで、 彼の一門は当時にあって、はぶりをきかせた」 晋の景陽皇后=羊徽瑜は羊コの姉。 しかし、辛ピ伝に引く同じく『世語』では 夏侯湛は辛憲英の外孫とされています。 考えられる可能性としては、 (1)夏侯荘は羊氏から二回妻を迎えている。 ・一人目:羊コや羊徽瑜の姉 ・二人目:羊耽と辛憲英の娘。彼女が夏侯湛を産んだ。 (2)ちくまの誤訳、もしくは原典から間違っている。 二人の羊皇后(羊徽瑜と羊獻容)を取り違えた、或いは世代を数え間違えたなど、 引っ掛かりそうなポイントがいくつかあるのが気になります。 付け焼刃で調べた知識なので、勘違いや見落としも多いと思います。 詳しい方からフォローをいただければ幸いです。
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