★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
85:2002/10/27(日) 23:26AAS

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/25(Sat) 00:27:19)

うお!? かの士会の血縁が、こうも広範に散らばるとは!? 彼や重耳のように、流浪だの亡命だのを繰り返した結果、全土にその胤を残すパターンもあるのですね〜。そしてみんなが別々の氏を名乗るからよけいにわけがわからない! どうして中国人は姓と氏を分けるのですか〜!

羽田元総理も、秦氏ですか…。あ、ハタつながりということで…。でも、結構本当っぽいですね〜。なら羽田さんも趙雲の血縁グループに!
86:2002/10/27(日) 23:28AAS

左平(仮名)[中国] > (2001/08/26(Sun) 13:54:09)

ご先祖ネタで趙雲と陳到の差が開く一方なので、陳到のご先祖ネタ(相変わらず根拠は薄弱ですが)も一つ。陳到(字は叔至)、汝南の人。、、陳氏という事から、当然、春秋時代の陳国との縁が考えられます。汝南はかつての陳の地よりだいぶ南にあるのですが、、何と!張コウは(吉川三国志では)三度死ぬ、ではありませんが、陳は三度滅んでいるのです!その一回目は、覇王・(楚の)荘王の時の事(ちなみに、二回目も三回目も楚によって滅ぼされています)。この時、南方に抑留された陳の人々もいるでしょうから、その末裔の一人が陳到という事も。なお、この陳の公室の先祖は、虞の閼父といい、周王室の陶工の長でしたが、その子は周の武王の長女を娶り、陳国を開いています。さらに、そのご先祖は、何と太古の帝王・舜! 

以前の士会の一族ネタで出てきた、杜陵という所ですが、、伴野朗氏の『中国・反骨列伝』の中に、西安(かつての長安)の東南という記述がありました。杜伯と杜預とのつながりはどうなるのでしょうか?、、それはさておき、魏に蘇則という人がいたので、まさか、と思い「三国志全人名事典」(徳間書店)でチェックしましたら、扶風郡武功の人、とあります。扶風郡は長安近郊ですから、上述の杜陵で生まれ育ったらしい、典属国・蘇武(匈奴に十九年もの間抑留されながら、ついに節を曲げる事なく漢に帰還したという傑人。悲運の名将・李陵の友人ともいいます)の名が。蘇武は期間後も二十年あまり生きたといいますから、彼の子孫が一人くらいいても不思議ではありません。 
87:2002/10/27(日) 23:28AAS

竜[関東] > (2001/08/26(Sun) 20:18:34)

杜甫の詩のなかに自分の家系を誇るものがあって、それによると
陶唐氏堯帝の子孫で、杜預が十三代祖先であるとしているそうです。

省11
88:2002/10/27(日) 23:28AAS

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/26(Sun) 22:19:47)

おお、今度は陳到が! そうですよね〜、趙氏が黄帝まで遡った以上、陳氏も神話までいってもらいましょう(;^_^A
で、陳公の血筋ですが…なるほど、帝舜の末裔ですか! となると姚姓。すると虞翻あたりと同姓ですね〜。なんで中国人って姓と氏を分けるのでしょうか…。
さておき、杜預!こちらは帝堯!姓は伊祁!……いま私は姓氏一覧を参照していますが、当時の人々は当然、氏を聞くと即座に姓を答えることが出来たのでしょうね〜。同姓不婚とかもあったでしょうし…。で、杜預は帝堯の血を引く杜家に産れ、13世後に杜甫をうむ、と…。
省8
89:2002/10/27(日) 23:29AAS

左平(仮名)[中国] > (2001/08/26(Sun) 23:06:16)

秦氏関係で、もう一つ思い出しました。確か、桓武天皇の母は秦氏の女(むすめ)だったかと。日本史の百科事典でずっと昔に読んだ記憶があります(違ってたらごめんなさい)。ためしに古文の辞典で皇室の系譜を見ましたら、桓武天皇から今上天皇まで、ず〜っと辿る事ができるのです(南北朝などもありますが、それをも乗り越えて)。と、いうことは、、。書いてて、こんなに話が広がっていいものか、と思わず自問してしまいます。
90:2002/10/27(日) 23:30AAS

松竹梅[関東] > (2001/08/27(Mon) 00:52:30)

法正の曽祖父は法雄といって、どうも田斉の襄王の子孫らしいです。ということは、法正には陳無于の血が流れてるのか…と思えばなんとなく納得かも。ということで、法正も先祖は帝舜ということになりました…でいいのかな?
91:2002/10/27(日) 23:30AAS

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/27(Mon) 23:49:06)

こんどは天皇家〜!! 秦氏おそるべし〜! あ、いま趙雲様のご先祖のページを更新しました〜。それ以後に出てきた話題の人物を追加しております〜。

そして法正! こちらは斉の襄王!? …と、松竹梅様、その法雄という人物は三国志には記述されてないです〜。ソースは三国志集解ですか〜!? いいなあ…。
92:2002/10/27(日) 23:30AAS

松竹梅[関東] > (2001/08/28(Tue) 07:53:18)

ソースは『後漢書』38巻法雄伝と、83巻「逸民列伝」ちゅうの法真伝です。
法正の祖父、法真は門下生数百人を抱える「関西の大儒」であり、寡欲にして官に仕えなかったという、法正の祖父だとは到底思えない人物です。ちなみにこの人「玄徳先生」と呼ばれていました。法正と劉備の意外な接点? 
93:2002/10/27(日) 23:31AAS

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/29(Wed) 00:20:38)

うお!? またしても後漢書! あう〜、また県立図書館から借りなきゃ…ええと、38巻ですね〜。
それにしても、「三国志」になくて「後漢書」に伝のある有名人(関係者)、あるいは後漢書の方が詳細な人物って、どれくらいいるのでしょう…? 徐栄の末路なんか、三国志には載っててませんでしたよね〜。
94:2002/10/27(日) 23:31AAS

玉川雄一[関東] > (2001/08/29(Wed) 01:15:25)

えと、羊[示古]のオジーさんの羊続の伝がありますね。巻三十一に。
チョイと前に、羊[示古]の父の羊ドウ(行がまえに首)の同名異人問題を調べていて、参考にしようとしたのですがあまり解決にはなりませんでした。
1-AA