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【恐怖!】タイムパラドックス発生!【超時空領域】
22:2002/10/27(日) 22:35
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/09(Thu) 22:56:33)
黄蓋まで!?(;^_^A
なるほど、黄蓋は武陵太守任命後に死亡とありますね〜。武陵が呉の領土になったのは関羽の死後だから、当然219年以降。が、黄蓋死後の兵を受け継いだ味好漢・孫皎は、呂蒙と同じく関帝に祟り殺されてます。これまた219年。219年というのは呉にとって転機の年ですね〜。荊州を得た代償として、名将・呂蒙、孫皎、そして黄蓋を喪ったことに…。
しかし、部長の仰るとおり、いかにもセセコマシイというかあわただしいシナリオになってしまいますよね〜。このままでわ。
この場合、年度ではなく状況を考えてみましょう。
本文では、「武陵の蛮夷叛乱し、城邑を攻守す。蓋を以て太守を領せしむ」
「蛮人が叛逆して立て籠もったので、黄蓋を太守として派遣した」という事です。……なんだか、関羽と命を削る攻防のすえ領有!…というカンジがしないような…? 妙にノンビリしている気もします。
ついでにいうと、この記述は「武鋒中郎将を拝す」のすぐ後に続きます。筑摩の正史ではこの就任を赤壁の記述とくっつけてますが(「赤壁の功績によって武鋒中郎将に任じられた」という具合に)、手持ちの和刻本では赤壁のあと註を挟み(トイレのあれ)、一行あけてから「拝武鋒中郎将。武陵蛮夷……」というカンジで続き、赤壁とは段落が異なります。
つまり黄蓋が武鋒中郎将に任じられてすぐに武陵太守になった、と解釈できなくもないです。
上前次1-新書写板AA設索