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【恐怖!】タイムパラドックス発生!【超時空領域】
23:2002/10/27(日) 22:35
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/09(Thu) 22:56:48)
となると、いつ孫権は武陵を領有したか、ということになりますね〜。最終的に孫呉が荊西を領有したのは関羽の敗死後ですが、その前に、いちど長沙や武陵あたりを暫定統治した時期はなかったでしょうか?
黄蓋が武陵太守ながら鎮圧した長沙の益陽県というのは、地図で見る限り洞庭湖の西南に位置し、かなり武陵に近く(手持ちの地図では衡陽郡)、湖を挟んですぐ北は周瑜の勢力圏である南郡です(ちなみに関羽軍が魯粛軍と対峙したのもこの益陽県です)。
……以上、記述の章句と地理的環境から類推するに、黄蓋が「武陵太守」であった時期は、必ずしも「関羽の死後」でないかもしれません〜。周瑜が劉備に公安を貸す前、呂蒙の荊南攻撃が始まる前、魯粛との予備交渉がまとまる前…。
ああ、我ながら飛躍した理論だ〜。
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