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【恐怖!】タイムパラドックス発生!【超時空領域】
41:もす 2002/11/10(日) 18:51 [sage] 結局のところ、現状のままだと、どっちも肯定しきれないんですよね(笑) 突撃しちゃ失礼だろうし、メールも・・・う〜ん。。。。。。 [スマソな校正] 「八歳」 → 「九歳」(数え年デス…) 「結婚したのは190年当時」 → 「結婚した190年当時」
42:japan 2002/11/12(火) 23:45 [sage] とても明確に論点を纏めてくださり、ありがとうございます >もす様 それにしても、どちらが正解なのでしょう… 13歳で子どもを作ったり(?)、74歳で子どもを作ったりする連中がいるから ますます話がややこしくなるんですよね。 >ぐっこ様 >japan様が教えを乞われたという方は、専門家の方なのでしょうか…? どちらかというと専門家の卵にあたる方だと思います。 WEB上の知人なので、私もそれほど多くをお伺いしているのではないんですが…すみません。 ――で、自力でつらつらと考えてみたのですが ・「13歳説」の根拠は、確か「爵位を相続できる年齢から逆算して」ということだったと思います。 これもソースは失念してしまいました。申し訳ありません(涙) ・『郭嘉伝』以外で郭奕君が登場する唯一の列伝である『王昶伝』を読む限り、 郭奕と王昶は友人同士(二人とも太子文学に就任している為?)であるらしい。 肝心の王昶の生年は不明なのですが、 (1)同郷の王リョウ(172年生)と並んで名前を知られていた。 王リョウの方が年長なので、彼を兄と仰いでいた。 (2)没年は259年で、最終官位は司空 (3)嗣子・王渾の生年は223年(『晋書』王渾伝より) という三点から考えて、180年前後と見るのが穏当だと思います。 そうすると、王昶の知人兼同僚だったという郭奕も、180〜190年位に生まれたと 考えるのが妥当なのでは… 190年(あるいはそれ以前)に再婚――という記述だけに目を向ければ、 160年前後に生まれたと考える方が納まりが良いのですが、それだと 『王昶伝』の記述がおかしくなってくるんですよね。 まさにあちらを立てればこちらが立たず状態… 何だかますます訳が判らなくなってきました。申し訳ありません(@_@)
43:★ぐっこ 2002/11/13(水) 23:06 ぐわ…またしてもパラドクス(^_^;) うーん…確かに、どれかがウソをついてます、というだけでは 説明できない矛盾が… 再婚…まさか幼い頃から許嫁としていた娘が早世したため、次の 結婚相手を決めた、とかいうオチじゃ…。誰かいましたよね、そういう ケース。 私もお手上げだなあ…
44:もす 2002/11/16(土) 21:25 [sage] おゎ、そういえば、郭奕以外唯一の太子文学を調べるのを忘れていました。。 某所で指摘されていたのに、詳しく調べていませんでしたぁ。ありがとうございます〜 すっごい唐突に思いついたんですが・・・ 中国も親族を養子に入れることってありますよね・・・ 郭奕は郭嘉の弟だった!ってのはどうでしょう? 郭嘉が早逝したために跡を継いだ、つまり、系図的には『養子』である、と。。。。 やっぱりメチャですね。すいません・・・(;^_^A う〜ん、お手上げですねぇ。 ぐっこさん、japanさん、ホントにありがとうございました♪
45:★ぐっこ 2002/11/21(木) 21:42 [sage] いえいえ、こちらこそーm(__)m ていうか、私は何もしてない(^_^;) うーん、郭嘉と郭奕かー…。お手上げ…
46:★玉川雄一 2004/01/12(月) 10:18 そうそう、昨年もすさんの所で目にした衝撃の新事実(事実じゃあないかも)が。 念のためこちらでも披露しておきましょうか。 もすさんのサイト『四史奮迅』に掲載されている「四史人物列伝」において、 “甘寧215年没説”が提唱されておりました。 なんでも、『建康実録』なる地方志には「甘寧が215年の12月に死去した」とあるそうで、 もすさんも直接は確認されたそうではないですが、なかなか興味深い記事だと思いません? 確かに凌統の時と同じく甘寧もまた、 建安年間末期以降の記述に明確な年代特定がしづらいんですよね。 この辺りは「四史人物列伝」でもすさんも分析してらっしゃいますが。 果たして『建康実録』が史料として信憑性があるものなのか、 もしかしたら他にも面白い記事がありはしないか、などと興味は膨らみます。
47:もす 2004/01/13(火) 03:37 えーっと、それらしく言ってしまうと、 私のネタじゃなくって"松"の付く方から頂いたネタだったりします(笑) その方に質問などが飛び火しないようコラムでは隠していますが、ここなら大丈夫っすよね。 かくいう私が手に入れればいいんですが、最近はやる気が全く出なくて…(;^_^A ちなみに、建康実録の件は某所でも「怪しいよね」って話が出てました。
48:★ぐっこ 2004/01/14(水) 00:19 あらら、あの方からのお話でしたか…ご無沙汰ですが… ちなみに215年は、劉備が蜀とった翌年。荊州問題がこじれて呂蒙・魯粛が 関羽とガチに戦いそうになった年ですやね。 そういうときに甘寧さんが亡くなっていた、という説があると。 うーん、『建康実録』…知らないというか、地方誌(;´Д`)!? 有名なのはけっこう知れ渡ってますけど、いっぱいこういうネタ 埋まってるんだろうなあ。 しかし真偽のほどはどーにも怪しいですか(^_^;) いっぺんこういう 本全部そろえてみたいもの… そういや、陳宮の故郷が県まで書かれてたのって、何でしたっけ? むかーしゲーパラで立ち読みしてて「ええなっ」て思ったことが。
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