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■NHK「その時歴史は動いた」…のかよ…?
20: 2002/10/27(日) 23:14 玉川雄一[関東] > (2001/08/22(Wed) 23:45:16) まあ、いちゃもん付けるのも大人げないですが… 赤壁が三国志最大の激戦ねえ… やっぱ官渡じゃないかなあ。 魏が悪者扱い。 第二部の最後の方で、晋が魏に取って代わったのは魏のやり方じゃダメなんだ、って、じゃあ魏より先に滅んだ蜀はどうなんじゃい! 三国演義からの引用シーンはどれもこれも鮮明に記憶が… ちなみに、現在BSでの再放送は、先週が南征終了、今週はもう北伐ですね。もうすぐ馬謖が斬られます(^_^) 結論。三国志ネタなら本命は官渡の戦い、大穴は袁術(-_-;)
21: 2002/10/27(日) 23:15 玉川雄一[関東] > (2001/08/23(Thu) 00:01:46) そうそう、「孔明チェック」、もはやする気も失せて。 松平さんは一応(何度か)諸葛亮孔明っても言っていましたが… この「姓名字一括表記」ってのもおかしい、って聞いたこともありますけどねえ…
22: 2002/10/27(日) 23:16 japan[関東] > (2001/08/23(Thu) 00:21:50) ぐああ〜、やっぱりそういう内容だったのですね。 >ショッカー万歳 >魏が悪者扱い。 どう考えても愚痴たれて顰蹙を買いそうだったので、家人が見ているのを尻目に、一人テレビを離れていました。 「諸葛亮を孔明と呼ぶのは偏向なの〜」と主張しても、「あんたが見てる三国志のほうが歪んでるんじゃない」と一蹴。 ――何というか、こう、野球を見たことのない相手に「何故清水は左腕が先発だとスタメンを外されるのか」を説明しているような…果てしない徒労感。(分かりにくい例えですみません。) >晋が魏に取って代わったのは魏のやり方じゃダメなんだ、って、じゃあ魏より先に滅んだ蜀はどうなんじゃい! 全く同意です。外戚と宦官によって滅んだ後漢の轍を踏まなかっただけでも、魏という国家は賞賛されてしかるべきだと思います。 宦官に大権を与えた蜀や、皇族や公主が権力闘争に明け暮れた呉よりは、前朝の教訓を活かしたと云えるでしょう。 あと、出典を忘れてしまったのですが「魏は天の時・呉は地の利・蜀は人の和」という言葉も、正史の実態を知るとちょっと…。 蜀は「地の利」じゃないかと思うのですが。
23: 2002/10/27(日) 23:17 玉川雄一[関東] > (2001/08/23(Thu) 00:54:30) >姓名字一括表記 思い出しました。田中芳樹が「中国名将列伝」で書いてました。 名と字が同じ人がいるから、「諸葛亮孔明」っていう書き方も本当はおかしいんだ、って。 そこで挙げられていた例は郭子儀で、姓は郭、名は子儀、字も子儀。 ちなみに、東晋のラスト2代の皇帝、司馬徳宗、徳文兄弟も名と字が一緒でした。 >外戚と宦官によって滅んだ後漢の轍を踏まなかった魏 そして魏の皇族冷遇策に乗じた晋が、それを反面教師として皇族に大権を与えたら内乱が勃発したというのも痛烈な皮肉ですね。 >晋が魏に取って代わったのは魏のやり方じゃダメなんだ、って、じゃあ魏より先に滅んだ蜀はどうなんじゃい! この文章、japan様には私の意図通りに読みとって頂けましたが、少々変な表現になってしまっているので修正+付け足しますね。 「晋が魏に取って代わったのは、魏の(政治の)やり方じゃダメ(で蜀のやり方が正しい)、っていうことの現れなら、じゃあ魏より先に〜(以下同文)」 ということで。
24: 2002/10/27(日) 23:17 朝雪[東海] > (2001/08/23(Thu) 01:01:16) 途中からしか見れなかったんですが…… 演義と正史の使い分けがなんだかやらしーなって思いました。演義に正当性というか信憑性を出すために正史が使われているような。 あと、悪政に対し、諸葛亮が政治を摂ってくれたらと考える中国の方が、昔も今もどれだけいるのやら。諸葛亮治下の蜀って、住みにくそうなんですけど、実際のところ、どうなんでしょう?
25: 2002/10/27(日) 23:17 MOS[外国] > (2001/08/23(Thu) 05:01:01) どうも〜〜、NHK見ながら3分おきにツッコんでいたMOSで〜〜っす(爆) >姓名字一括表記 これを表記・発音している方がヒジョ〜〜に多いんですが、、、 実は、これは“絶対に有り得ない呼び方”なんですよ。 例えば、岡部広子という名前を例に挙げて説明しましょう(=^_^=) もし、彼女の名前を姓名字を一括して表記しようとすると、次のようになります。 『岡部広子ヒロちゃん』もしくは『岡部広子優香』 謎な呼び方ですよね?(笑) 本来、字は親しい間柄の時、もしくは敵対している人間に対して使うモノで、名の代わりに過ぎません。 では、何故、上記のような時に名を直接呼ばないか、というと、みなさんもお知りの『言霊思想』のようなもののせいなんです。 つまり、名はその人の分身であり、必然的に尊ぶべきものであるから、親しい間柄では軽々しく呼ばず、 敵対している人物の場合、「何の気兼ねも要らない」という点で(逆に呼ばれたらマズイ為に)名ではなく、字を呼ぶんです。(^^) ですんで・・・夏侯惇が曹操の事を「孟徳」と呼んでいるような書があったとすると、 (小説的面白さは別として、)事実考証は期待できないでしょうね(笑) >結論。三国志ネタなら本命は官渡の戦い、大穴は袁術(-_-;) んでは超大穴は公孫淵でしょうか?(笑) 題して『卑弥呼と公孫淵の壮大な野望』 共に諸葛亮・孫権と手を結ぶというハナシがありながら、 反故にした挙句に結果は惨憺たるものでした〜〜、ってカンジで ( ̄▽ ̄ ま、卑弥呼・諸葛亮ラインは創作でしょうけど(笑) 卑弥呼の場合、その勢力がどこにあったか、という点に注目が浴びますが、 具体的に「何をしたのか?」という事には触れられない事が多いのが、ちと残念でなりませぬ。。(>_<)
26: 2002/10/27(日) 23:18 ふみ[四国] > (2001/08/23(Thu) 18:44:19) 姓名字一括表記についでですが、私もないと思っていたのですが、魏の文帝の『典論論文』には、建安の七子を「姓名字」で続けて表記している箇所があります。 例えば孔融。 『後漢書』は「孔融字文舉魯國人(孔融、字は文舉、魯國の人なり)」ですが、曹丕は「魯國孔融文舉」と、そっけなく書いています。(以下、同様に七子を列挙) どういう場合、姓名字一括表記が許されるのかはわかりませんが、使用例が皆無というわけではなさそうです。 もっとも、自分で話すときに「諸葛亮孔明がね〜」とは(絶対)言いませんが…^^;
27: 2002/10/27(日) 23:18 玉川雄一[関東] > (2001/08/23(Thu) 20:29:27) ういす。どもです。 やはり「姓名字」は基本的にはペケってことでしょうか。 >もっとも、自分で話すときに「諸葛亮孔明がね〜」とは(絶対)言いませんが…^^; そうですね。私も同じです。文字に表すときも、「諸葛亮(孔明)」とか「諸葛亮(字・孔明)」と書くようにしています。 >んでは超大穴は公孫淵でしょうか?(笑) えー、公孫淵メインではありませんが、以前この番組で卑弥呼の魏への遣使を取り上げた回がありました。当然公孫氏も(一応)登場しましたが…MOSさんはその回はご覧になりました? その時は、「諸葛亮の死、蜀の圧力低下→魏が公孫氏へ兵力を向ける→公孫氏滅亡→倭から使者」という流れで、何だか諸葛亮の死を無理矢理関連づけようとしてるような感がありました。 総じてこの番組、三国迷を満足させるのは難しいようです(^_^)
28: 2002/10/27(日) 23:19 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/23(Thu) 23:02:58) ■姓名字一括表記 この字と姓名については、随分と悩まされますよね〜。人物の解説文を書いているうちは問題ないのですが、ちょっと文想が湧起って、三国志小説でも書こうかな〜、なんて気になったとき、字がないキャラをどう処理したものか悩んだ記憶が(;^_^A 無理矢理官職名で呼んでみたり。 ■何て言うか本当に三国志何だと思ってるんですか協会(NHK)について 呉のシカトぶりばかりに目がいっていましたが、そういえば随分と魏がヒドイ呼ばれ方でしたよね…(あまりにも自然だったので気が付きませんでした)。玉川様やjapan様に同意! 曹操が全面的に押し立てた能率・実績主義を、NHKは否定しようとしている!? 代ってアナクロニズム!これは何かの布石なのか!?さすがに、「漢王室復興」というキャッチフレーズは一度たりとも用いませんでしたが…。 なんだか、演義のお話を「ほら。本当にあったことなんだよ。歴史書にも書いてあるし」と実証するためだけに正史を持ち込んでましたね…。
29: 2002/10/27(日) 23:19 松竹梅[関東] > (2001/08/24(Fri) 01:06:59) >字がない武将をどうするどう扱うか 作ってしまうのが手っ取り早いかと(もちろん注釈いれて) 『反三国志』の周大荒先生も、田中芳樹先生もやってたことなんで大丈
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