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■NHK「その時歴史は動いた」…のかよ…?
14: 2002/10/27(日) 23:06 玉川雄一[関東] > (2001/08/09(Thu) 09:32:22) あ、私、『生きるべきか死すべきか』だけは読みました。文庫で、諸葛亮の死の直前からでしたので、「下巻」でしょうか? 張嶷の最後が壮絶だったのと、呉の朱異が処刑されたときの孫[糸林]のセリフ、「呉には未だ勝利の味を知らぬ大将は必要ない」が頭に残っています。
15: 2002/10/27(日) 23:06 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/09(Thu) 22:54:57) おお、柴練三国志!私も読みましたよ〜。あれは北方三国志と微妙に異なる意味合いで男臭いのですよね〜。陳舜三国志は、ちょっと女性的なんでしょ〜か? さすがに晋初まで網羅してくれる三国志本って、なかなか出会えないですよね〜。いま三国迷が最も血走った目を向けている宮城谷三国志が、どこまで描かれるのか…まあ、宮城谷先生の作品って、たいてい主人公が死んだらスパッと終わりますが(;^_^A
16: 2002/10/27(日) 23:06 松竹梅[関東] > (2001/08/15(Wed) 23:25:20) 宮城谷三国志、あれは主役が誰になるんでしょうか。 個人的には楊震→(一世代飛ばして)楊賜→楊彪→楊脩という風に楊一族を主軸にした三国志を期待したんだけど、どうも違う模様。 次回からの主役は、初代の費亭侯になりそうですね
17: 2002/10/27(日) 23:06 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/17(Fri) 23:43:25) 曹騰は、順帝とからめて単独でも面白そうなストーリーができるでしょうね〜。あとは、梁冀あたりとどうやりあうのか…。
18: 2002/10/27(日) 23:08 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/22(Wed) 20:46:16) はい、第一部終了〜 予想したとおり、ショッカー万歳なお話でした〜。 続きは第二部が終わってから(;^_^A
19: 2002/10/27(日) 23:14 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/22(Wed) 23:17:21) はい、第二部見ました。予想通りの内容でしたが、「泣いて馬謖を斬る」の孔明の号泣に、ちょっと感動しました〜。音楽がよい…。 それにしても、映像を見た瞬間、「あ、あのシーンの流用だ」と一発でわかる自分がたまらなく好きです。 それにしても、「民衆のため」を何度繰り返せばいいのですかNHK…。 できればきょうび小学生でも信用しない偽善者ちっくな迫り方でなく、もうちょっと日本戦国史っぽい生々しい迫り方であってほしかったです。
20: 2002/10/27(日) 23:14 玉川雄一[関東] > (2001/08/22(Wed) 23:45:16) まあ、いちゃもん付けるのも大人げないですが… 赤壁が三国志最大の激戦ねえ… やっぱ官渡じゃないかなあ。 魏が悪者扱い。 第二部の最後の方で、晋が魏に取って代わったのは魏のやり方じゃダメなんだ、って、じゃあ魏より先に滅んだ蜀はどうなんじゃい! 三国演義からの引用シーンはどれもこれも鮮明に記憶が… ちなみに、現在BSでの再放送は、先週が南征終了、今週はもう北伐ですね。もうすぐ馬謖が斬られます(^_^) 結論。三国志ネタなら本命は官渡の戦い、大穴は袁術(-_-;)
21: 2002/10/27(日) 23:15 玉川雄一[関東] > (2001/08/23(Thu) 00:01:46) そうそう、「孔明チェック」、もはやする気も失せて。 松平さんは一応(何度か)諸葛亮孔明っても言っていましたが… この「姓名字一括表記」ってのもおかしい、って聞いたこともありますけどねえ…
22: 2002/10/27(日) 23:16 japan[関東] > (2001/08/23(Thu) 00:21:50) ぐああ〜、やっぱりそういう内容だったのですね。 >ショッカー万歳 >魏が悪者扱い。 どう考えても愚痴たれて顰蹙を買いそうだったので、家人が見ているのを尻目に、一人テレビを離れていました。 「諸葛亮を孔明と呼ぶのは偏向なの〜」と主張しても、「あんたが見てる三国志のほうが歪んでるんじゃない」と一蹴。 ――何というか、こう、野球を見たことのない相手に「何故清水は左腕が先発だとスタメンを外されるのか」を説明しているような…果てしない徒労感。(分かりにくい例えですみません。) >晋が魏に取って代わったのは魏のやり方じゃダメなんだ、って、じゃあ魏より先に滅んだ蜀はどうなんじゃい! 全く同意です。外戚と宦官によって滅んだ後漢の轍を踏まなかっただけでも、魏という国家は賞賛されてしかるべきだと思います。 宦官に大権を与えた蜀や、皇族や公主が権力闘争に明け暮れた呉よりは、前朝の教訓を活かしたと云えるでしょう。 あと、出典を忘れてしまったのですが「魏は天の時・呉は地の利・蜀は人の和」という言葉も、正史の実態を知るとちょっと…。 蜀は「地の利」じゃないかと思うのですが。
23: 2002/10/27(日) 23:17 玉川雄一[関東] > (2001/08/23(Thu) 00:54:30) >姓名字一括表記 思い出しました。田中芳樹が「中国名将列伝」で書いてました。 名と字が同じ人がいるから、「諸葛亮孔明」っていう書き方も本当はおかしいんだ、って。 そこで挙げられていた例は郭子儀で、姓は郭、名は子儀、字も子儀。 ちなみに、東晋のラスト2代の皇帝、司馬徳宗、徳文兄弟も名と字が一緒でした。 >外戚と宦官によって滅んだ後漢の轍を踏まなかった魏 そして魏の皇族冷遇策に乗じた晋が、それを反面教師として皇族に大権を与えたら内乱が勃発したというのも痛烈な皮肉ですね。 >晋が魏に取って代わったのは魏のやり方じゃダメなんだ、って、じゃあ魏より先に滅んだ蜀はどうなんじゃい! この文章、japan様には私の意図通りに読みとって頂けましたが、少々変な表現になってしまっているので修正+付け足しますね。 「晋が魏に取って代わったのは、魏の(政治の)やり方じゃダメ(で蜀のやり方が正しい)、っていうことの現れなら、じゃあ魏より先に〜(以下同文)」 ということで。
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