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★晋書立伝三国志関係者★
13: 2002/10/30(水) 00:14 中根東竜 2001年10月04日木曜日 13時42分 どうも、はじめまして。 「解體晉書」に参加させて頂いております、中根と申します。 今後ともよろしく。 ここには孫ぽこさんのページの掲示板を伝って参りました。 玉川さん、『晋書』関係人物リストアップ力作ですね! 僕も『晋書』を読んできましたがこれほど多くの 三国人物の子孫がいたとは驚きです! >なぬ、「遼東太守『公孫文懿』」? …ああ、もしかして公孫淵? そうですね、玉川さんのおっしゃるとおり『晋書』では淵の字を すべて名に持つ人物は字で表記されます。 遼東太守『公孫文懿』は公孫淵とみて多分間違いない、 と思います。 >司馬懿の詩 丁度玉川さんのおっしゃられた公孫文懿の記述がある9ページの後ろ、10ページに「帝(司馬懿のこと)歎息し、悵然として感有り、為に歌いて曰く。 『天地開闢して、日月光を重ぬ。際会に遭遇して,力を遐方に畢す。・・云々』」と、詩があります。詩というより、劉邦の「大風歌」と同じジャンルに属する「歌」ですね。歌は民謡に近いもので、詩より 俗っぽいものです。 この詩は決まり文句を多用しているためか、下手だと言う本もあるようですが、それはどうかと思います。歌というのは決まり文句を多用する もので、別に司馬懿が特に下手だとは言えません。魏晉南北朝の民間の歌はみなこのようなものです。貴族の詩は別ですが。 (上手いと言われている曹操の詩も実は決まり文句を多用していて、これは歌として兵士に詠わせたためです) これは歌としてみれば如何にも英雄・司馬懿らしい感情の高ぶりを素直に歌い上げているもので、なかなか良いと個人的には思いますねぇ。 と、いうわけで、ぐっこさん、「可哀想なぐらい下手」ということはないですよ〜。司馬懿が下手なら、同じような決まり文句を多用する詩を量産した曹操も下手になってしまいます。(爆) それではこんごともよろしく。
14: 2002/10/30(水) 00:14 ぐっこ 2001年10月04日木曜日 22時49分 あ、中根東竜様、はじめましてーっ! 実は解體晉書、定期ROMってます(;^_^A 書き込める程の知識がないもので…。玉川様やNOB様の投稿見てほえーと感心するばかりでのパンピーですが、どうぞよろしくm(_ _)m そして補足説明、ありがとうございます! 司馬懿の詩ですが、なるほど高雅な文学「詩」ではなく、歌だったわけですかー! 「感有り、為に歌いて曰く――」ということは、興が催したために即興でスラスラ〜と歌いあげたのでしょうか。意外に人間味のある男だったのですね〜、仲達さん。 あ、でも、仮に詩がヘタだったとしても、なんだか新撰組の土方みたいで、かえって魅力的な気もします。これで詩歌まで三曹レベルだと救いようがないような(;^_^A
15: 2002/11/01(金) 22:11 玉川雄一 開眼! もう! 陶侃! …失礼、少々取り乱してしまいました。 学三のおまけネタ、「東晋ハイスクール」のネタにしようと晋書陶侃伝を読んでみたんですが、これがまたすげェ大人物だという事が分かりまして。 だって、才覚を曹操に、忠勤を諸葛亮と陸抗に例えられたんですよ? こいつァトップクラス並のタマだと確信しましたね、私は。 つくづく痛感したんですが、何と言っても知名度の差ですよね、三国時代と晋代って。晋代だって三国志に勝るとも劣らない一代スペクタクルですよ? まあ、少々凄惨ではありますが。 まずは味好漢列伝に投稿したんですが、とても収まりきれないので自分のサイトに陶侃ページ作っちゃいます! 日本でも珍しい陶侃ファンサイト(^_^;) 『解體晉書』さんにも正式入会申し込み(っていうか今まで会員じゃなかったというのに今更気が付きました)して、晋書と心中しちゃる! やっぱり、晋書って面白いです。三国志キャラの末裔出まくりですし。 …まあ、信憑性が低いらしいってのがアレですが。というか、どの辺が怪しいんでしょうね。そもそもソレが知りたい。
16: 2002/11/01(金) 22:11 ぐっこ 2002年01月05日土曜日 22時09分 むッ!? 陶侃!? またここに新たなる味好漢が!? というか味好漢列伝掲示板の存在を忘れておりました! 早速チェック!! つーかたまにあちらにも書き込みとかありましたら嬉しいです♪ ……… なんと、あれほどの評価を受けるあの人物は何者ですか!? …って、陶淵明のひいおじいさんでしたね(;^_^A 肩書き凄い…。まあ父方の「大将軍陶侃」といわれるくらいだから…。 いまネットで調べてみましたが、おもしろいエピソードも…! 新たなる英雄の誕生だ! 学園ではどうなるんだろう…(;^_^A
17: 2002/11/01(金) 22:11 左平(仮名) 2002年01月06日日曜日 00時39分 拝見しました(流し読みですが)! 瓦の出し入れのエピソ−ドは『中国古典名言事典』にもあったので「あぁ、あのエピソ−ドだぁ」と感心しながら見たのですが、羽根が、、というのは初耳で、とても面白いです。大変な大物です。 これほどの人の子孫が、たかが曾孫の代であの貧窮ぶりとは、、(『韓非子』五蠹篇には、県令程度の地位でも子孫代々馬車を乗り回す、という記述があります。大将軍クラスともなればその富は莫大なものであったはずなのに)。晋の貴族(ほとんどは中原に本籍があったかと思われる)社会の壁は、あれほどの傑物でも破れなかったのか、という感想もあります。彼は、少数民族の出身だったのでは?というのを読んだ覚えがありますが、それが壁になったのでしょうか、、。
18: 2002/11/01(金) 22:11 玉川雄一 2002年01月06日日曜日 00時42分 いやあ、ハジけたハジけた♪ ひとまず、陶侃伝アップしました。 とばし読みした所においしいネタが転がってるかもしれないので、 またじっくりと読み返してみます。 …例えば、何の予備知識、先入観もナシにこの陶侃伝と趙雲伝あたりを読み比べたら、陶侃の方がすごいって思えるはずです(暴言?)
19: 2002/11/01(金) 22:11 玉川雄一 2002年01月06日日曜日 00時45分 あ、時間差でした。 陶侃の子が17人いる内で9人付伝が立ってるんですが、彼等はそこそこだったみたいです。さすがに父親ほどには… あとで、そこの分もアップしておきまする。
20: 2002/11/01(金) 22:12 左平(仮名) 2002年01月06日日曜日 02時37分 玉川さん、たびたび煽るばかりで、お手数をかけますが、、この時代、もう一人、大物がいます。 チ(希+β)鑒(ちかん:書聖・王羲之の岳父でもある)です。 陶侃・王導と共に、不安定な東晋を支えた実力者だとか。急いだりしませんから、ぜひ、こちらの伝もお願いします。
21: 2002/11/01(金) 22:12 玉川雄一 2002年01月06日日曜日 12時00分 うい、[希β]鑒でございますね。 陶侃伝の次が温[山喬]伝、その次が[希β]鑒伝でございまふ。 この辺りの列伝の並び、錚々たるメンバーにて。 巻65に王導(王覧の孫) 巻66に劉弘(劉復の孫)、陶侃 巻67に温[山喬](温恢の曾孫)、[希β]鑒([希β]慮の玄孫) 巻68に顧榮(顧雍の孫)、紀瞻(呉の尚書令・紀亮の孫)、賀循(賀斉の曾孫) 三国志キャラの末裔にして東晋初期のVIPがワンサと。 …いつか。でも長そうだなあ(コラ)
22: 2002/11/01(金) 22:12 玉川雄一 2002年01月06日日曜日 12時14分 >巻66に劉弘(劉復の孫)、陶侃 劉復ちがう。劉馥でし。近頃蒼天航路でブレイク(?)した御仁ですわ。
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