後漢末・名士の関係
1:2002/10/30(水) 00:26

MOS   

はぁ〜〜〜、書いていたら手違いで全部消してしもうた。。。
というワケで再度書き直し〜〜♪
ネタは・・・こりゃまたマイナー野郎の袁譚麾下の将軍、郭援です!!
省21
2:2002/10/30(水) 00:26

ぐっこ     2001年10月11日木曜日 23時01分

なるほど!今まで想像もしていませんでしたが、言われてみればその可能性もありますよね!
で、ちょっと調べてみたのですが…少なくとも手持ちの後漢書には郭援の記載はなく…中林先生の漢文全籍資料庫で検索をかけても、基本的に三国志と同じ内容のみ…。
うう…お役に立てずに申し訳ないです〜。他にも潁川郭氏がいるかな〜、と思ってパラパラと見たら…郭嘉と郭誕しかいない(T_T)
3:2002/10/30(水) 00:27

japan  2001年10月12日金曜日 21時54分

『郭図−郭援−郭嘉同族説』は私も考えた事がありました。

潁川の名士は「相対する勢力の双方に一族の構成員を送り込む」という戦略を取ることがあるので、郭図と郭嘉も袁紹・曹操方に分かれて密かに連携していたのではないかと…
省8
4:2002/10/30(水) 00:27

ぐっこ     2001年10月13日土曜日 01時27分

おお、なるほど!潁川名士って、案外したたか!真田家のようです(;^_^A
確かに彼の進言は悉くが裏目に出、全て曹家の肥やしになってますね。秘本三国志の劉備的役割を!? 妄想が絶えない(;^_^A
郭家の先祖って、誰なんでしょ? 少なくとも漢初の頃にはそれなりの人物がいてそう〜。
5:2002/10/30(水) 00:27

黒竜 2001年10月13日土曜日 02時12分

後漢書をながめたところ
穎川郡陽テキの郭躬という人が見つかりました。

省13
6:2002/10/30(水) 00:27

MOS     2001年10月13日土曜日 02時48分

ふむぅ。
黒竜さんの仰る郭躬が彼らの一族の前代の人物である事は間違い無さそうですね♪
ところで、郭躬が未然に防いだ皇帝廃立計画というと、やはり梁冀の件でしょうか??
省19
7:2002/10/30(水) 00:28

MOS     2001年10月13日土曜日 05時14分

むぉ!!
郭躬さん、三國志杜恕伝に登場してますぞ!!
もちろん杜恕伝ですから、あの異様〜〜に長い上層文の中の1節です(笑)
省10
8:2002/10/30(水) 00:28

黒竜 2001年10月13日土曜日 21時12分

梁冀の一歩前です。それと昨日の時点での自分翻訳に間違いが…

安帝から順帝のあいだに北郷侯劉懿という短命の幼帝がいたのですが
省11
9:2002/10/30(水) 00:28

ぐっこ     2001年10月13日土曜日 21時50分

審配はあれだけ格好良く死んでるというのに…。同じ反沮授派でどうして…。それに郭図だって、曹操に先んじて帝擁立を具申してますよねえ…不憫な。
常識的に考えれば、主君の意に阿って弟を擁立した審配らのほうこそ逆心あつかいされるでしょうし、まして袁譚は、手腕はともかく人物的には「蒼天」の像がしっくりするくらいの好男子だった模様。
袁家の跡目争いも、しょせんは冀州閥と潁川閥の戦いだったわけなんですね…。
10:2002/10/30(水) 00:29

ぐっこ     2001年10月13日土曜日 21時56分

あ、それと郭氏の前身!そのあたり(孫程のクーデター)、むか〜し曹騰の小説みたいなのを書いた時にちょっとだけ勉強しました(*^。^*)
そ、そうだったのか! 名前忘れてましたけど、あのとき既に潁川の郭氏が登場していたのですか!?
ううむ、三国志を一通り理解するためには、通史で勉強しなきゃならないことを痛感します…。
1-AA