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後漢末・名士の関係
24:★ぐっこ2003/10/06(月) 00:37
あ、MM2様。ようこそお越し下さいました!
まずは三国志辞典の追加、乙です!党錮周辺のボリューム
に圧倒されました…。ていうか、凄い。半ばフィーリングであのあたりの解読してた私にとっては、
非常にありがたいです!また勝手ながら参考にさせて頂きますね〜! 用途は主にイロモノですが(__;)
で、桓霊の頃の清流ランキング。
省24
25:★玉川雄一2004/10/03(日) 03:51
ちょっと余所様の所で調べ物していて気付いたのですが。
呂布や張バクがエン州で反乱したとき、豫州刺史の郭貢って人が出張ってきたけど
荀イクの説得で矛を収めた、っつう話がありましたよね。
この郭貢って素性が不明なんですけどどうなんでしょ?
潁川郭氏の関係者で、地元の有力者として出世して
省17
26:★ぐっこ2004/10/05(火) 01:03
郭貢…ありうるような。
あうー…その本貫を避けるっての、後漢コピー資料の中にある筈
なのに見つからんッ!後で必ず見つけます!少なくとも太守は
NGだったような。掾以下ですやね、現地採用は。
27:MM22004/10/06(水) 01:01
ご無沙汰しております。MM2です。
太守の件、記憶にはあるのですがソース見つけられませんでした。
私もぐっこさんに期待します。という事で以下中正・刺史の件。
省26
28:★玉川雄一2004/10/06(水) 01:44
援護射撃深謝!
で、中正官ですけど。ご指摘の通り私のまるきり勘違いでした。
『魏晋南北朝』を読むと“各郡国の出身者一名をそれぞれの郡国の「中正」という役職に任命し”
とありますから地元の人じゃないといかんのでしたわね。
省18
29:白崎ゆきと2004/10/18(月) 22:44
お久しぶりです。白崎です。
窪添慶文『魏晋南北朝における地方官の本籍地任用について』からの孫引きですが、
「かつて浜口重国氏は、後漢時代においては、郡の長官である太守・次官である丞は
本郡任を、県の長官である令・長、次官にあたる丞・尉は本県任ならびに本郡内の
諸県への就任を回避せしめる原則が成立しており、それは前漢の武帝中期以降に
省24
30:★玉川雄一2004/10/21(木) 00:14
わ、実際に調べた人がいるんだ。
白崎さんもよくぞ見つけて下さいました。
『史学雑誌』ですか。現役学生の頃だったら大学図書館で
チョイチョイっと読めたんだろうになあ…
ところでその論文には、任用例は名前まで判明しているんでしょうか。
省7
31:★ぐっこ2004/10/21(木) 00:32
お久しぶりです! そしてありがとうございます!白崎ゆきと様!
うーん…やっぱり見つからないです、資料(^_^;) 当該の記述部分が
その浜口重国先生のものと似ていましたから、出典は同じだったのかも。
なるほど、少なくともナンバー2までは本籍地を回避でしたか。
となると太守や県令なんてのは、本当に中央からの出向って立場が、想像以上に露骨
省14
32:MM22004/10/21(木) 22:47
>白崎ゆきとさん
情報ありがとうございます。
私も図書館通って調べることにします。
実際に調べることで証拠としたということは、
はっきりと記載されている当時の書物がなかったんでしょうかね?
省7
33:白崎ゆきと2004/10/21(木) 23:52
手抜きで申し訳ないですが、確認などは一切ナシで論文の記述を抜き出します。
後漢末での本籍任用例:7(刺史2、太守5)
・キョウ(「龍」の下に「共」)楊 『華陽国志』
・趙敏 『華陽国志』
・孫嵩
省28
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