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後漢末・名士の関係
27:MM2 2004/10/06(水) 01:01 ご無沙汰しております。MM2です。 太守の件、記憶にはあるのですがソース見つけられませんでした。 私もぐっこさんに期待します。という事で以下中正・刺史の件。 中正は父老・三老の延長で制度化されたものだったと思うので、 基本的には郷論=地元豪族の意向にある程度沿った形で挙げられるため、 中正となる人も地元の人なのではないでしょうか? よく調べてないのですが、晋書から例をあげます。 燕国の劉沈…燕国の大中正 呉郡の顧衆…揚州の大中正 丹楊の張[門豈]…本郡の大中正 呉郡の陸玩…本州の大中正 刺史は監察官なので郡県の非法を監督するのに本籍の者では調子が悪いのではないでしょうか? ざっと後漢書を調べた感じでは出身州の刺史になった人はいませんでした。 ただ、これは平時の場合の話であって、後漢末のような乱時の場合だと 出身州の刺史に任じた方が説得力があるような気がしますね。 しかしそれだと長官(この頃の刺史を牧と同格とみなした場合)と治所の結びつきが強すぎて 後に切り離す時とか扱いに気を配りそうですけど。 結構大雑把に調べたので間違ってたらすみません。 郭貢についてはあまり調べられなかったのですが、何かわかればまた書き込みます。では。
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