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後漢末・名士の関係
29:白崎ゆきと2004/10/18(月) 22:44AAS
お久しぶりです。白崎です。
窪添慶文『魏晋南北朝における地方官の本籍地任用について』からの孫引きですが、
「かつて浜口重国氏は、後漢時代においては、郡の長官である太守・次官である丞は
本郡任を、県の長官である令・長、次官にあたる丞・尉は本県任ならびに本郡内の
諸県への就任を回避せしめる原則が成立しており、それは前漢の武帝中期以降に
始まったものであること、刺史についても同様のことが言えることを明らかにされ」
「浜口重国氏は、本籍地任用回避が行われたのは後漢末霊帝の頃までであって、
「霊帝の世に黄巾の大乱が勃発し、引続いて西方に流賊が横行し始めた後は
大分事情を異にする」と述べておられる」
だそうですよ。
また、この論文によると、
・後漢末での本籍任用例:7(刺史2、太守5)
・三国時代:3(刺史1、太守2)
・武帝時代の西晋:0
・八王の乱以降の西晋:14(刺史2、太守12)
なんだとか。
これ以上、丸写しにするのはさすがに良心がとがめますので、
この論文の総論等を知りたい方は実際に手を取ってみてください。
『史学雑誌』の1974年1・2号収録です。
最近はすっかりご無沙汰だったのですが、やっぱり制度関連の話は面白いですね。
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