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後漢末・名士の関係
20:★ぐっこ2003/03/13(木) 23:22
やや、随分懐かしいスレが…。中根東竜さま、ありがとうございます。
さて、陳舜作品。後々思いますに、小説十八史略あたりだったかと。
ジェラシった郭氏が、とりあえず「悪女」のお手本みたいな活躍をした
後、一族ごと失脚、という内容だったと思います。
実際は、そうではなかったと(^_^;)
省12
21:中根東竜2003/03/16(日) 00:14
>ああ、真定の郭氏の勢力はそれほど揺るがず、ですか。
『後漢書』光武本紀下では「皇后郭氏を廃して中山太后と為す」
としているだけですね、一族没落の話はどこから陳氏が
持ってきたのかわかんないです。
省15
22:★ぐっこ2003/03/16(日) 00:56
>それ以降の郭氏は洛陽に居住し、
>一族も繁栄を続けた
全くもって陳先生のお話を信じてましたんで調べもしませんでしたが、
確かに郭皇后紀にも家門没落の話なんか無いですね…
というか、郭氏の代々が列挙されてましたが、九卿クラスを歴任する
省16
23:MM22003/10/05(日) 14:20
はじめまして。
どこに書いていいか分からなかったので興味のあるところに書き込みます。
桓帝〜霊帝の南陽の出身者って宦官とつるんでる人が多いですね。
宦官の曹節の影響が強かったんだと思います。
でもそんな中で桓帝〜霊帝時代の名士ランキングに名前を連ねてる人が2人もいるわけで
省9
24:★ぐっこ2003/10/06(月) 00:37
あ、MM2様。ようこそお越し下さいました!
まずは三国志辞典の追加、乙です!党錮周辺のボリューム
に圧倒されました…。ていうか、凄い。半ばフィーリングであのあたりの解読してた私にとっては、
非常にありがたいです!また勝手ながら参考にさせて頂きますね〜! 用途は主にイロモノですが(__;)
で、桓霊の頃の清流ランキング。
省24
25:★玉川雄一2004/10/03(日) 03:51
ちょっと余所様の所で調べ物していて気付いたのですが。
呂布や張バクがエン州で反乱したとき、豫州刺史の郭貢って人が出張ってきたけど
荀イクの説得で矛を収めた、っつう話がありましたよね。
この郭貢って素性が不明なんですけどどうなんでしょ?
潁川郭氏の関係者で、地元の有力者として出世して
省17
26:★ぐっこ2004/10/05(火) 01:03
郭貢…ありうるような。
あうー…その本貫を避けるっての、後漢コピー資料の中にある筈
なのに見つからんッ!後で必ず見つけます!少なくとも太守は
NGだったような。掾以下ですやね、現地採用は。
27:MM22004/10/06(水) 01:01
ご無沙汰しております。MM2です。
太守の件、記憶にはあるのですがソース見つけられませんでした。
私もぐっこさんに期待します。という事で以下中正・刺史の件。
省26
28:★玉川雄一2004/10/06(水) 01:44
援護射撃深謝!
で、中正官ですけど。ご指摘の通り私のまるきり勘違いでした。
『魏晋南北朝』を読むと“各郡国の出身者一名をそれぞれの郡国の「中正」という役職に任命し”
とありますから地元の人じゃないといかんのでしたわね。
省18
29:白崎ゆきと2004/10/18(月) 22:44
お久しぶりです。白崎です。
窪添慶文『魏晋南北朝における地方官の本籍地任用について』からの孫引きですが、
「かつて浜口重国氏は、後漢時代においては、郡の長官である太守・次官である丞は
本郡任を、県の長官である令・長、次官にあたる丞・尉は本県任ならびに本郡内の
諸県への就任を回避せしめる原則が成立しており、それは前漢の武帝中期以降に
省24
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