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後漢末・名士の関係
29:白崎ゆきと2004/10/18(月) 22:44AAS
お久しぶりです。白崎です。
窪添慶文『魏晋南北朝における地方官の本籍地任用について』からの孫引きですが、
「かつて浜口重国氏は、後漢時代においては、郡の長官である太守・次官である丞は
本郡任を、県の長官である令・長、次官にあたる丞・尉は本県任ならびに本郡内の
諸県への就任を回避せしめる原則が成立しており、それは前漢の武帝中期以降に
省24
30:★玉川雄一2004/10/21(木) 00:14AAS
わ、実際に調べた人がいるんだ。
白崎さんもよくぞ見つけて下さいました。
『史学雑誌』ですか。現役学生の頃だったら大学図書館で
チョイチョイっと読めたんだろうになあ…
ところでその論文には、任用例は名前まで判明しているんでしょうか。
省7
31:★ぐっこ2004/10/21(木) 00:32AAS
お久しぶりです! そしてありがとうございます!白崎ゆきと様!
うーん…やっぱり見つからないです、資料(^_^;) 当該の記述部分が
その浜口重国先生のものと似ていましたから、出典は同じだったのかも。
なるほど、少なくともナンバー2までは本籍地を回避でしたか。
となると太守や県令なんてのは、本当に中央からの出向って立場が、想像以上に露骨
省14
32:MM22004/10/21(木) 22:47AAS
>白崎ゆきとさん
情報ありがとうございます。
私も図書館通って調べることにします。
実際に調べることで証拠としたということは、
はっきりと記載されている当時の書物がなかったんでしょうかね?
省7
33:白崎ゆきと2004/10/21(木) 23:52AAS
手抜きで申し訳ないですが、確認などは一切ナシで論文の記述を抜き出します。
後漢末での本籍任用例:7(刺史2、太守5)
・キョウ(「龍」の下に「共」)楊 『華陽国志』
・趙敏 『華陽国志』
・孫嵩
省28
34:★玉川雄一2004/10/22(金) 00:53AAS
うわあ、また迅速な情報提供を!
リストアップされた人物を見ていると、
確かにああ、そういえば、という顔がチラホラ見えますね。
しかしこれ、膨大な人物の本籍と各自が歴任した地位を
把握していないと調べられんぞ…
省12
35:★玉川雄一2004/10/23(土) 18:52AAS
ちなみに王遜ってこんな人。
王遜(?-323)、字は邵伯、魏興の人。
郡に仕えて孝廉に察せられて吏部令史となり、殿中将軍に転じ累遷して上洛太守となる。ついで魏興太守に転じる。
省31
36:★玉川雄一2004/10/27(水) 01:09AAS
そういや、三国雑談スレの257でぐっこさんが
「上級の地方官吏あたりは、本籍地を避けて任命されるようですが」
って書いてるや。私たぶんこれとかが記憶に引っかかってたんだと思う。
37:むじん2004/10/29(金) 21:20AAS
どこかのスレで公孫度とか李恢に言及しました。
ぐっこさんの振りに答える形だったと思います。
38:★玉川雄一2004/11/27(土) 15:33AAS
山川の『中国史2 三国→唐』にも記述がありました。
「州郡官の任用については、漢代、長官にその州郡県出身者を任じない原則があったが、
魏以後には出身地の州郡県の長官となる例がはなはだ多い」(p.39)
“原則”として任じなかったというとそれに関する規定が
省8
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