下
後漢末・名士の関係
24:★ぐっこ2003/10/06(月) 00:37AAS
あ、MM2様。ようこそお越し下さいました!
まずは三国志辞典の追加、乙です!党錮周辺のボリューム
に圧倒されました…。ていうか、凄い。半ばフィーリングであのあたりの解読してた私にとっては、
非常にありがたいです!また勝手ながら参考にさせて頂きますね〜! 用途は主にイロモノですが(__;)
で、桓霊の頃の清流ランキング。
当時の南陽出身者は、確かに宦官がらみが多そうですね。
宦官で侯に任じられた連中の中でも、鄭衆、王国のあたりから始まって、李建、李元、
楊佗、魏猛、それと曹節と、結構な数が南陽のどこかに封地を貰っているみたいで。
それだけ本貫としている人たちが多かったのでしょうから、そこの出身者が中央で
地位と名声を持続するには、やはり先輩参りとかをしないとダメだったんでしょうか。
ランキング結果も、世に阿るほどのものではないですけど、多少恣意的な得票結果っぽい
ところはありますね…。
基本姿勢は反宦官で一致してるんでしょうけど、清流も色んな派閥があるみたいですし。
三君は…あ、本当だ(^_^;)。見事に三位一体。竇武と陳蕃はいいとして。
ただ、ランキング付けをしていた人々の中でも、特にコアな人々と、太学でやはり人物評
を繰り広げていた党人予備軍の人々は、どちらかといえば清濁の旗幟を曖昧にしてる大物
よりも、わりと身分の低い、そのかわり病的に廉潔な人士を推していた模様。一種の野党層を
形成してたみたいなものでしょうか。
どうにも官僚と宦官の対立というと、絶対悪と絶対善の最終戦争みたいな様相がありますが、
イロイロ複雑みたいですね(^_^;)
上前次1-新書写板AA設索