後漢末・名士の関係
27:MM22004/10/06(水) 01:01
ご無沙汰しております。MM2です。

太守の件、記憶にはあるのですがソース見つけられませんでした。
私もぐっこさんに期待します。という事で以下中正・刺史の件。


省26
28:★玉川雄一2004/10/06(水) 01:44
援護射撃深謝!

で、中正官ですけど。ご指摘の通り私のまるきり勘違いでした。

『魏晋南北朝』を読むと“各郡国の出身者一名をそれぞれの郡国の「中正」という役職に任命し”
とありますから地元の人じゃないといかんのでしたわね。
省18
29:白崎ゆきと2004/10/18(月) 22:44
お久しぶりです。白崎です。

窪添慶文『魏晋南北朝における地方官の本籍地任用について』からの孫引きですが、
「かつて浜口重国氏は、後漢時代においては、郡の長官である太守・次官である丞は
 本郡任を、県の長官である令・長、次官にあたる丞・尉は本県任ならびに本郡内の
 諸県への就任を回避せしめる原則が成立しており、それは前漢の武帝中期以降に
省24
30:★玉川雄一2004/10/21(木) 00:14
わ、実際に調べた人がいるんだ。
白崎さんもよくぞ見つけて下さいました。
『史学雑誌』ですか。現役学生の頃だったら大学図書館で
チョイチョイっと読めたんだろうになあ…

ところでその論文には、任用例は名前まで判明しているんでしょうか。
省7
31:★ぐっこ2004/10/21(木) 00:32
お久しぶりです! そしてありがとうございます!白崎ゆきと様!
うーん…やっぱり見つからないです、資料(^_^;) 当該の記述部分が
その浜口重国先生のものと似ていましたから、出典は同じだったのかも。

なるほど、少なくともナンバー2までは本籍地を回避でしたか。
となると太守や県令なんてのは、本当に中央からの出向って立場が、想像以上に露骨
省14
32:MM22004/10/21(木) 22:47
>白崎ゆきとさん
情報ありがとうございます。
私も図書館通って調べることにします。

実際に調べることで証拠としたということは、
はっきりと記載されている当時の書物がなかったんでしょうかね?
省7
33:白崎ゆきと2004/10/21(木) 23:52
手抜きで申し訳ないですが、確認などは一切ナシで論文の記述を抜き出します。

後漢末での本籍任用例:7(刺史2、太守5)
 ・キョウ(「龍」の下に「共」)楊 『華陽国志』
 ・趙敏 『華陽国志』
 ・孫嵩
省28
34:★玉川雄一2004/10/22(金) 00:53
うわあ、また迅速な情報提供を!
リストアップされた人物を見ていると、
確かにああ、そういえば、という顔がチラホラ見えますね。

しかしこれ、膨大な人物の本籍と各自が歴任した地位を
把握していないと調べられんぞ…
省12
35:★玉川雄一2004/10/23(土) 18:52
ちなみに王遜ってこんな人。

王遜(?-323)、字は邵伯、魏興の人。

郡に仕えて孝廉に察せられて吏部令史となり、殿中将軍に転じ累遷して上洛太守となる。ついで魏興太守に転じる。

省31
36:★玉川雄一2004/10/27(水) 01:09
そういや、三国雑談スレの257でぐっこさんが
「上級の地方官吏あたりは、本籍地を避けて任命されるようですが」
って書いてるや。私たぶんこれとかが記憶に引っかかってたんだと思う。
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