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後漢末・名士の関係
28:★玉川雄一 2004/10/06(水) 01:44 援護射撃深謝! で、中正官ですけど。ご指摘の通り私のまるきり勘違いでした。 『魏晋南北朝』を読むと“各郡国の出身者一名をそれぞれの郡国の「中正」という役職に任命し” とありますから地元の人じゃないといかんのでしたわね。 ちなみに司馬懿が設置した州大中正は実質的に朝廷の高官が兼任することが多く、 そのためこのシステムが結局は権門有利な傾向に流れる要因となったとか。 山川の『中国史』でも二品以上の有力者が中正官への就任や 州大中正の選出に関わることができたとのことで、 ガチガチの地元名士優遇コースだったわけか。そりゃそうやんなあ。 確かに、「本国大中正」とか晋書の伝によく出てきましたわね。 灯台もと暗しだったか… とすると刺史だの太守だのの方だったのかなあ… 引き続き捜索の幅を広げてみるとします。
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