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【三人いる!?】預章太守は誰だ!?
1:2002/10/30(水) 00:32
ぽこ
おひそです。劉ヨウ伝を書いているうちに不思議な事にぶちあたりまして、カキコさせてもらうことにしました。ぜひ玉川さん・ぐっこさん・松竹梅さんなど三国迷の大御所様たちのご意見を伺いたくm(_)mペコリ。
というのは、【劉ヨウの揚州刺史赴任当時の豫州太守は誰か?】です。
まず、華[音欠]は馬日テイにより豫州太守に任命されており、馬日テイが、諸国を放浪し、徐州に行ったときに華[音欠]を豫章太守として任命しており、ほぼ孫策が懐義校尉に任命された時期、つまり193年〜194年の頃と思われます。
ところが、豫章太守には、【諸葛亮伝】【劉ヨウ伝】などで、劉表が指名した諸葛玄と漢の任命した朱晧の間で紛争が起こり、諸葛玄が豫章太守の座を追われ、劉表の元に落ち延びた事、さらに朱晧は、劉ヨウが孫策に敗れ、豫章に落ち延びるまで、太守として存在し、サク融によって討されています。
???時期的に華[音欠]の豫章太守赴任と朱晧の豫章太守任命が重なってませんか??
孫ぽこ的解釈では、華[音欠]の赴任した豫章は長江流域で、朱晧の赴任した豫章は南部・後の廬陵郡あたりではないかという気がするのですが・・・・ご意見求めます!!
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