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【三人いる!?】預章太守は誰だ!?
3:2002/10/30(水) 00:33
ぐっこ 2001年10月20日土曜日 01時51分
……こう見てみると、諸葛玄やら何やらの騒ぎが収まった後、後援者・劉ヨウによって名実ともに豫章太守に任命された、とするのが道理かもしれません…。彼が単身ではるばる徐州から豫章まで直行したとは思えんないからです。
劉ヨウは孫策に追われて豫章付近まで敗走→すると豫章を巡り諸葛玄と朱晧が対立中→劉ヨウはサク融を派遣して朱晧を援護→だがサク融が朱晧を殺して自立→キレた劉ヨウはサク融を逐い豫章入り→そこに馬日テイが任命したという豫章太守華キンが随行→劉ヨウが州牧の権限で太守職に任命→劉ヨウ病死……。
中央では、華キンをいちど太守に任命したものの、すぐさま現地に近い朱晧を任命し直した…ということでしょうか?何しろ李カク・郭レのやることですし、馬日テイらが宣撫のために任命権を持って地方巡業(;^_^Aしてた時代ですから…。
なんだか頼りない結論になってしまいました(;^_^A 引き続きどなたか詳しい方、ご教授お待ちしてますm(_ _)m
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