袁譚ってどうよ?
5:2002/10/30(水) 00:40AAS

MOS     2001年10月31日水曜日 23時52分

⇒おばらさん
いやはや、張超は張良の子孫でしたか!
曹参の子孫と張良の子孫、曹参の子孫と「我が子房」と呼ばれた男。
・・・なんとも面白いですなぁ♪(笑)

⇒ぐっこさん
>張超
いや、臧洪伝と照らし合わせて考えれば、
広陵太守であった張超(張バクの兄)と趙達伝での「広陵・・・書に優れた」張子並は同一人物ではないでしょうか??
明言してないんで、確証は全く無いんですが。。(^^ゞ


>袁譚
仁者でない、というのも確かにあるのですが、
それ以上に、オイラは彼の姑息さが感じ取ってしまうんです。。(^^;
例えば、曹操と一時的に(近い将来に破棄する事を前提とした)同盟しようとした事はその代表的な事ですし、
また、車騎将軍を自称したのも解せません。父の後を継ぐなら大将軍を名乗る筈ですし、
形式的に祖父の後を継ぐなら(失念しましたが)三公の位を自称しても良い筈。
祖先を立てるのであれば、父の後釜として『大将軍司馬』などが妥当。
『車騎将軍』という非常に曖昧な将軍位は、彼の野心の高さと曹操に対する遠慮が窺い知れます。

さらに、沮授の言う「士人を敬愛し・・・彼らは盛り場で追いはぎや泥棒を働き、
場外では田野を荒らしまわる始末。・・・賄賂を使った者は見逃し、使わなかった者は徴兵された」は、
『父は子に似、下は上に似る』と表す事が出来ると思います。
1-AA