袁譚ってどうよ?
8:2002/10/30(水) 00:43AAS

ぐっこ     2001年11月01日木曜日 21時43分

あ、なるほど、本当にちくまの索引交ざってる(;^_^A
いちおう徳間の辞典のほうは分けてますね〜。
張バクの弟の方、どんな人間だったのやら…。


そして袁譚談。賛否両論が出ましたね〜♪
やっぱり両論を通して見ないと意見が偏るところ…。
MOS様の仰るとおり、袁譚の戦略はセコイですね。弟を倒すために敵の手を借りるという発想が、彼の人物を小さくしてしまってるようです。まあこれは曹操も同様で、互いに利用し合う化かし合いですが…。
当時は「危ない綱渡り」なんでしょうけど、後世から見れば「自ら離間の計にハマった」状態。袁家全体で見れば、どう見てもマイナスにしかならない行動ですね〜。
しかしこれまた黒竜様の仰るとおり、彼ら兄弟の意思ではどうしようもない強大な力が、二人を割くべくして割いた状況かとも思えます。
袁譚は敵方である審配のどぎつい書状を読んでなお悔恨の涙を流したといいますが、郭図に「脅迫され」戦争を続けざるを得なかった、と…。審配と郭図、そんなに仲悪かったのか!(;^_^A

――あ、いまパラパラっとこのへん読んでたら、袁譚は袁紹ではなく袁基(袁術や袁紹の兄。袁隗とともに董卓に殺されてます)の祭祀を継いだ、とありますね〜。つまり形式上、袁譚は袁基の家系に養子に出された、ということ。そういえば袁紹自身、袁逢の家系から袁成の家系に移されたんでしたっけ…あまり関係ないか(;^_^A
1-AA