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【中国中央電視台】三国志演義【BS2】
1: 2002/10/31(木) 21:25 ぐっこ ネタが無いなあ…(;^_^A ネタ探しに、BS三國志のビデオを寝る前に見た。 …う〜ん。ネタが有りすぎて困るな、この作品は(;^_^A とりあえず、BS三國志の俺ベストシーン希望! ちなみに、私はいきなり普通で申訳ないですが、典韋の戦死シーン。 雛氏の胡弓をBGMに、炎の中で崩れ落ちる典韋の巨体…。 そういえば子脩がいないなあ〜。
2: 2002/10/31(木) 21:26 NOB 2001年12月19日水曜日 00時46分 乱入返し、もといカキコ御礼です!(爆) 私も普通で申し訳ないですが、秋風五丈原の諸葛亮がベストシーンでしょうか。夕日の中に諸葛亮のシルエット、そして白羽扇がぱたっ、と…絵になりますよね(^-^) あと、ベストシーンじゃないですが妙に印象に残っているのが、定軍山で黄忠に切られる瞬間の夏侯淵。あの表情がなんとも(爆)
3: 2002/10/31(木) 21:26 玉川雄一 2001年12月19日水曜日 00時54分 うーん、おバカ系ならいくつか… 壇渓をハイパージャンプ(瞬間で・笑)した的驢 長坂の趙雲、ワイヤーアクションばりの大立ち回り(特に槍) 諸葛亮謹製の謎の木獣に火炎砲車を受け、マジ燃えする木鹿大王軍の動物たち(動物愛護団体からクレーム来なかったんだろうか) 昜軍、毛布にくるまり摩天嶺から決死のダイヴ マジ系はいまいち思い出せないんですが… 郭嘉の死は結構キたかも。 キャラ的には… 関羽、張飛はよくあんなピッタリな役者さん見つけたなあ。 貴ノ花似の曹丕と、楽太郎似の曹植兄弟(笑) どうにもオヤジな荀令君。 関羽の死以降は最近の再放送で録画してあるから、ゆっくり見直してみましょ。
4: 2002/10/31(木) 21:26 香香 2001年12月19日水曜日 13時07分 劉備と呉妹君の結婚披露宴でしょうか。こんな結婚式をホントにあの時代やっていたのかどうか解らないですが、小堺一機にソックリな劉備がニヤケながら、由美かおる似の呉妹君になにやら話し掛けるシーン(セリフは忘れました)。かなり不似合いな夫婦振りが笑いを誘いましたけど、幸せそうでしたね。正史じゃとてもこんな雰囲気じゃなかったでしょうけど(~_~;) マジ系・・・。 陳倉の攻城戦でしょうかね? 母が一緒に見ていたんですけど、エキストラの兵卒が、巧みに堀に渡したはしごをダッシュでわたるシーンで、 「これを踏み外したら笑い事じゃないねぇ・・・」 と、ぼそっと呟いたことが・・・(~_~;) あのさえわたる動きをしたエキストラは、人民解放軍がタダで参加していたのだ、というのはホントなんでしょうか??
5: 2002/10/31(木) 21:26 ぐっこ 2001年12月19日水曜日 23時58分 >NOB様 乱入返しありがとうござます〜!(⌒▽⌒)ノ ああ、あのシーンも感動的でしたよね…。死の直前に外に出て閲兵を見る孔明。絵になりました…。 そのシーンもそうですが、私は死ぬ前に孔明が見た悪夢(劉禅が天下を統一した…と思ったら、宮廷が無人になってて、孔明が慌ててみんなを探すという)。あれがかなり印象に残ってます。 >玉川様 関羽と張飛・趙雲に関しては完璧すぎる程完璧なキャスティングですよね〜! 孔明も実業家肌っぽくて問題なし! その代わり他のチームがずさんすぎるよ〜。役者の入れ替え、使い回が日常茶飯事とか…。 おばか系シーンも含めて、華奢ーん様のサイトがかなり詳しくて毒解説です(;^_^A 「監督妥協しすぎ」の喝破に激しく同意! 私的には、長坂のシーンのエキストラのマスゲームが興味深い。合戦ならともかく、補足すべき敵は趙雲ひとりという状況ですよねえ? なんであんなところでくるくる回ってるの? …とか。 >香香様 ものの本によると、当時の婚姻は日が落ちてから、夫婦ともに青衣ないし黒衣、つまり日本でいう葬式スタイルで挙式したとか…。 でも劉備の婚姻は真っ赤っかでしたね〜(;^_^A どことなくぎこちない劉備とかが可愛かった…。奥さんのほうが落ち着いて…。 梯子……小学生の頃、「ウンテイ」という遊具(今思えば雲梯のことだったのね…)の上を駆け抜けるのが「漢」の証明だったんです。実は見た目ほど難しくはないのですが、それでも空を踏み抜いてすねを折る者、○○を半損する者などが続出し、その遊具も撤去されました…。 今思えば怖い話だなあ…
6: 2002/10/31(木) 21:27 左平(仮名) 2001年12月20日木曜日 23時18分 BS三国志を全く見ていない(そもそもBS自体、見られない)ので話に参加できないのですが、婚姻話が出ているので、ちょっと、、。 当時の婚姻の様式の説明が、陳舜臣氏の『諸葛孔明』(上巻)に書かれていました。ぐっこさんのおっしゃる様に、青衣を用いていたそうです(黒衣は、周代から春秋の頃の様式らしく、宮城谷昌光氏の『鳳凰の冠』にその様子が描かれています。当時の人々にとっての婚姻は、台頭する新世代を祝うというより衰えゆく旧世代を悼むという感じだったらしく、婚=昏(くらい)か?という説もあるとか)。 真っ赤っ赤な婚姻のシ−ンというのは、後の時代の風俗と混交しちゃっている(関羽が青龍偃月刀を使ってるとか、椅子やテ−ブルを使ってるとか)せいではないかと。
7: 2002/10/31(木) 21:27 香香 2001年12月20日木曜日 23時37分 左平さま、情報ありがとうございます_(_^_)_ BS三国志の劉備・呉妹君の結婚式は赤一色でしたね〜。呉妹君も、ちゃんと垂嬰突きのカブリモノをつけていましたし。 慶事に赤をふんだんに使うようになったのはいつ頃からなんでしょうね。 ・・・はなしが横道にそれてしまいました(~_~;)すみませぬ。
8: 2002/10/31(木) 21:28 ぐっこ 2001年12月21日金曜日 00時41分 これは自慢で触れ歩いてるんですが、私、大学時代中国文学の授業、陳謙臣教授だったんですよ(;^_^A で、謙臣先生に習いました。当時は結婚というのは、それだけ親が歳をとった証拠であり、嘆き悲しむべき行事であった、と。 夜に嫁が来るのは、陰陽と関わりがあり、陰気(女)が来るのだから、やっぱり夜じゃなきゃマズイでしょ、という風習。 だから、仏教のお寺でガンガンに深紅のウエディングドレス、というのはやっぱり演義からでしょうな〜(;^_^A でも、いつから祝うようになったんでしょ〜
9: 2002/10/31(木) 21:28 左平(仮名) 2001年12月23日日曜日 00時28分 結婚を祝う様になった時期、、六朝時代あたりかな〜(って、何の根拠もない、、晋代に強い玉川さんか中根さんなら分かるかも、、)。 椅子やテ−ブルの使用が一般的になる・仏教の普及・素朴な騎馬遊牧民族の影響(匈奴の習俗では、獲物を分ける時、若く強い者が良い所を、老いて弱い者が残りをとる、とか。それ以前の時代より若い者を重視する姿勢が出てきたのでは?とも言えます。)など、その傍証はありますが、、。 ところで、以前「四方山掲示板」でちらっと言いました、「if三国志」ですが、、未だ、執筆開始不能です。最近、また読書づいてきまして、「老子」「荘子」「墨子」「孫子」「論語」など(全て現代語訳付きで)・『中国の古代文学』『中国の神話』(ともに白川静氏の本)・「三国志 きらめく群像」などを購入したのですが、、考えがさっぱりまとまらなくなってきております。 あらすじは頭の中にあるのですが、あまりにも粗雑です。 ぐっこさん、あなたは凄いです。よくぞこれだけの膨大な物語を作られました、、、
10: 2002/10/31(木) 21:29 玉川雄一 2001年12月23日日曜日 01時41分 ギクッ(-_-;) いやあ…ハハハ… 中根さんお願いします!<(_ _)> 『志』の礼とか輿服とか読むと載ってはるのでしょうか…
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