下
刺史vs牧!
4:2002/11/01(金) 22:20AAS
ぐっこ 2002年01月14日月曜日 22時56分
うお、「刺史」と「州牧」ですか!?
コピー史料のなかでもイロイロと触れられてるんですが、妙に詳しくて妙に核心からズレてる(;^_^A
ええと、ちょっと書名が確定できないんですが(←おい)、ちょっと抜き出してみると…
前漢武帝代(BC106〜)部刺史成立。州監察官・六百石(一年に一度都に戻り、上奏する義務を負う)
↓
成帝代(BC8〜)刺史→牧。二千石。
↓
哀帝代(BC5〜)牧→刺史。四年後、また刺史→牧。
↓
王莽…なんか、古代の官職(伯?)
↓
光武帝代(AD42〜)牧→刺史。六百石。(この頃、上奏義務が無くなり、計吏が代わって上京した)
↓
↓刺史権限の肥大化。郡太守への職権濫用相次ぐ。監察機能空白に。
↓
順帝代 宦官や外戚の子弟が地方長官職を独占。地方叛乱頻発。事実上の後漢支配体制の崩壊。
↓
八使巡行開始。監察機能の穴埋め。だが非常時に勅の無い場合は、臨時に刺史が州の全権を掌握する風潮広がる。
↓
霊帝代 牧設置の議がおこる。勅任官による地方軍閥化の始まり…。
…とのことでした。
ちなみに、霊帝の代も刺史は六百石でしたが、あの梟雄・劉焉の提言によって、刺史の秩を前職のままにしてはどうか、という代案が出されたとか。もともと二千石級の高級官僚が次々と刺史に選ばれたものだから、当然、刺史の秩禄は二千石で定着。
で、見計らったような牧伯復活の提言。これ。
劉焉は監軍使者の職から刺史→牧となったため、なし崩し的に州の軍権を掌握。朝廷から事実上の独立を果たす、と。
上前次1-新書写板AA設索