下
姓?氏?諱?字?
43: 2002/11/01(金) 22:54 おばら 2002年01月27日日曜日 23時16分 >後漢末くらいには、すでに女性が家から出て路地を練り歩き、ふつうに買い物とかしてたのでしょうか うーん、参考になるかどうかちょっとワカラナイですが、 班昭の『女戒』婦行第五には、 「禮義居n、耳無塗聴、目無邪視、出無冶容、入無廢飾、無聚會羣輩、無看視門戸、此則謂専心正色矣。若夫動静輕脱、視聴陝輸、入則亂髪壊形、出則窈窕態、説所不當道、觀所不當視、此謂不能専心正色矣。」とあります。 テキト―に現代風に超意訳すると、(^-^;; 「清潔にして礼を守り、道ばたでは噂話に耳を傾けず、媚びるような流し目は使わず、外出するときはケバい化粧で顔をつくらず、家に居るときでも化粧無しではいけないし、井戸端会議に集まるオバチャン連中の集会に集まったりせず、門の外を通る男に視線をやらない、これが夫ただ一人を大切にするということである。 しかし、浮ついてきょろきょろしたり地獄耳だったり、家にいるときは髪はボサボサなのに外出するときだけは色っぽい化粧をしたり、女性として言ってはいけないことを言ったり、見てはいけないモノをみようとすれば、夫一人を大切にすることのできない女である。」 とでも訳せましょうか…。 女性の外出って結構あった感じしません?
44: 2002/11/01(金) 22:54 ぐっこ 2002年01月29日火曜日 00時41分 ああ、当時の夫人公論(;^_^A ! 班昭さんの文がありましたか! なるほど、これは…一般も士大夫も含めての訓戒のようですが、なんだ、結構みんなフツーに外に出てるじゃん!! やっぱり主婦たちは井戸端会議をやったりしてたんですね…(;^_^A こうやってしつこく戒めるところを見ると、よそのご亭主に色目使う団地妻も多数…。 なんだか、急に目が開けてきた感じです!
45:玉川雄一 2004/05/10(月) 23:48 ちょうどよいスレがあったのでもの凄いサルベージ。 調べものしててふと気になったんで見てみたのですが。 賈詡の諱である“詡”の意味に「やわらぐ」というのがあるようで、 あざなの「文“和”」と対にしてるということでしょうか。 でも詡の第一の意味は「誇る、大言を吐く、ほらを吹く」だそうで(^_^;) ついで「おおきい、あまねし、やわらぐ、敏捷で勇ましい、 はっきりとした物言い、なまめかしい、美しい」などなど。 そういや、羌族に拉致られた時にハッタリかましたりしてましたよねえ(゚∀゚) 蒼天航路でのキャラも大言吐きっぽかったり。 やはり名は体を表すのかしら?
46: 左平(仮名) 2004/05/11(火) 00:06 あっ…それ、羌族ではなく、氐族です。でも、一体何の調べものですか? 「忠」という名でも皇甫嵩に自立を勧めた閻忠という人もいますし、現在でいうと、 あんたのどこが「静香」やねん、という、広島県選出の御仁もいますし…などと茶々を 入れてみたりして。 ともかく、こうしてみると、言葉にはきちんと意味があるんですね。まぁ、賈詡の大言吐き については、閻忠のべた褒めも一因なのかも知れませんが。
47:★ぐっこ 2004/05/12(水) 23:55 というより、「やわらぐ」と「ホラを吹く」の意味が両立している “詡”のほうが凄いような(^_^;) でもホントに、どっちも当たってる んでしょうねえ…。やはり「和」は第二義で、彼自身は第一義と。
48:★玉川雄一 2004/05/15(土) 18:48 あ、テイ族でしたね。うろ覚えで書いてました。 ちなみに調べ物は全然関係のない話ですが、 晋書陳騫伝にあった“謇諤之風”ってのがどういう意味かしら、と思いまして。 『ごんべん』の字を見たついでだったわけです。 で、“謇諤之風”ってのはへつらわずに直言するという意味のようでして。 もっとも残念ながら陳騫は『素より謇諤之風無く』となるのですが(-_-;) それにしても漢和辞典って読んでいて飽きないですよね。見るたびに思わぬ発見が!
49:★玉川雄一 2004/08/27(金) 11:06 先日、講談社学術文庫の『秦漢帝国』(西嶋定夫著)を読んでいたら 漢初に旧斉の田氏が長安に移住させられた際、 長安に到着した順に「第一」「第二」・・・と姓を改めたとありました。 後漢の名臣(らしい)「第五倫」はそのうちの「第五」氏の末裔だそうで。 「第五」姓の存在は知ってましたけど、こんな由来だったんですか。 今更になってしったわけですが個人的に82へぇぐらい。 で、確認のためにぐぐってみたら、以前に松竹梅さんの起居注で 第五姓の由来についても紹介されてたんでしたね。 この記事自体は読んだ事があるけど忘れてたのか。 ところで、この後掲示板の方だかで第五文休の諱が判明したような 記憶があったんですけど思い違いかな? ちなみにもう一人第五さん情報。 西晋の最末期、第五猗(ダイゴイ)ってのがいた。 荊州での杜曾の反乱討伐のために朝廷から派遣されたんだけど、 説得されて反乱軍に寝返っちゃった。反乱は結局鎮圧されてしまうんだけど、 第五猗ら数人のもと官軍の将については周訪が助命してあげようとしたのに 荊州方面軍総帥の王敦によって皆殺しにされちゃった。 王敦はこういうの容赦ないから相手が悪かったといえばそれまでだが、 そもそもは第五猗が反乱軍に寝返ったんだから自業自得ではある。
50:おばら 2004/08/28(土) 23:18 第五・第八氏 http://kanso.cside.com/daigo01.htm http://kanso.cside.com/daigo02.htm http://kanso.cside.com/daigo03.htm http://kanso.cside.com/daigo04.htm とりあえず噛み砕いてみました。 誤訳あるっぽいですけど、よかったらどうぞ〜 晋書にも第五さんいるんですね。今、魏晋南北朝読み直し中だったりします。 ってぐっこさん掲示板むちゃくちゃ久しぶりの書き込みだし・・・
51:★ぐっこ 2004/08/29(日) 16:37 ヽ(・ω・)人(´∀`)人( ゚Д゚)人 おばらさまひさしぶりー!ヨコソー! 第五氏ですかー! こちらでもなんか話題になった記憶は… つうことで検索すると、宮城谷三国志スレで、第五氏の話題が。 文休さんの諱は、こっちの方では出てこないっす。りゅうぜんず掲示板 でしたっけか? ほう、晋のほうにも第五氏が…て、あまりイイ死に様ではないですな…
52:左平(仮名) 2004/09/12(日) 01:49 >第五氏 たまたま「馮道 乱世の宰相」を読み返していますと、第五Kという 人物がいました! 旧・新唐書のチェックはしてませんから何ですけど、なかなか面白い 人物の様です。 安史の乱において、顔真卿(書家としても有名)とともに戦った賀蘭 進明という人がいるのですが、彼・第五Kはその部下でした。 その時たまたま顔真卿が戦費確保の為に行っていた塩の官売をみた事 から、財源確保の為、塩の専売に携わったそうです。 で、この塩の専売による収益が、唐後期には総歳入の半ばを占めたの だとか。 唐後期を語る上ではなかなか重要人物みたいです。
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