下
姓?氏?諱?字?
38: 2002/11/01(金) 22:50 黒竜 2002年01月25日金曜日 20時39分 >今上皇帝のお父さんとかお祖父さんって、どう呼ばれるんでしたっけ!?「先帝」ではなくて…。 左平さんの仰るとおり亡父は皇考、亡祖父は皇祖(皇祖考?)。でいいみたいです。 ただ参考は後漢書が主なので何とも言えませんが正式に帝位に即いた人は、あまりそのようには呼ばないような気も… あと先代がなくなって諡号や廟号をつけるまでの間は大行皇帝と呼ぶようです。 一方、皇帝が生きている父を呼ぶ場合は「太上皇」が主でしょうか… 司馬倫も恵帝を「太上皇」に祭り上げてるんで微妙ですが… ちなみに傍系から迎えられた皇帝が父(未即位)に諡号を贈る場合は「○○皇」で「○○皇帝」とはしないようです。 後漢はこの「○○皇」が非常に多いですが、魏では明帝紀太和三年の詔勅にあるように厳しく禁じられたみたいです。 曹髦も曹奐も律儀にこれを守ってますね。 …曹奐が即位したときって曹宇まだ生きてたんですね。今気づきました(^^)A
39: 2002/11/01(金) 22:51 ぐっこ 2002年01月25日金曜日 23時40分 わわ、たくさん情報ありがとうございます! >字 本当に、考えれば考えるほど深みに…。結局、これを使うのはいいわけ?どうして父親を字で呼んじゃダメなの?…とか。 そういえば異説のなかに、「劉備を字で呼んだためあやうく関羽・張飛に斬られるところだった馬超」というシチュエーションがありましたね…。事の是非はともかく、自他の君主を字で呼ぶのは固く禁じられていたようで…。じゃあ明公とかいう呼び方しかできなかったのだろうか…。 >皇帝のパパ 左平(仮名)様、むじん様、黒竜様、情報サンクスです! 亡父のばあいは皇孝、生きてる場合は太上皇…。あ、むじんさまの「太皇帝」、思い出しました! 曹嵩の諡号ですね! グランパ曹騰は、たしか高皇帝でしたっけ。こういう呼び方もあるのか…。 傍系の父…ああ、皇帝の子が必ず皇帝になる訳じゃないんですよね…。 王朝が滅びる直前なんか、まともな世襲なんてほとんど無いですね〜。なるほど、「皇」だけですか。 日本の皇室範典を探したんですが、皇后→皇太后→太皇太后くらいしか分からない…。 あ、日本では「天皇・太皇太后・皇太后・皇后ノ敬稱ハ陛下トス」らしいです。今発見(;^_^A >女性 これも考えると妙なんですよねえ…。基本的に当時の女性は家に閉じこもっているもの、と思ってましたが、少なくとも市井の女性は街に出て歩き回ってたはずでしよねえ…。簡雍のエピソードではカップルで歩いてたみたいだし。どうも当時の町の様子が想像しづらいです…。 呂布が劉備に妻を見せたのは、政治的アピールと言うより「見てみて〜マイワイフ♪」的アホウな発想があったような気も(;^_^A 個人的な要望ですが。
40: 2002/11/01(金) 22:52 黒竜 2002年01月26日土曜日 23時02分 女性の扱いといえば、前漢の司馬相如が生活に困って 妻の卓文君に酒屋のママをやらせたところ文君の父親、 卓王孫が恥入って家に引き篭り、親戚が取りなして財産を与えさせた。 って話がありましたね。 他には夏侯覇の従妹が薪拾いに出かけて張飛に誘拐されたりしてますが…簡雍の話といい、未婚ならふらふらしててもいいのかな?
41: 2002/11/01(金) 22:53 むじん 2002年01月26日土曜日 23時40分 あわわわわ、太皇帝は曹嵩の諡号でしたか。 皇后→皇太后→太皇太后みたいな流れかと思ってましたよ。 大行皇帝とごちゃまぜになってたらしい…(^^; ホウイクの母は外出するとき帳付きの車に乗ってますよね。 簡雍が見た男女も車上の人だったのかも。 てっきり歩いているんだと思いこんでましたが。 そういえば女優は例外なんですかね。 あ、鄭玄の家の小間使いも鄭玄の目には触れてますよね。 わっかんないなあ〜。
42: 2002/11/01(金) 22:53 ぐっこ 2002年01月27日日曜日 11時05分 >黒竜さま 司馬相如の奥さん! そうでしたね〜、たしか奥さんが接客やって、ご主人は皿洗いとかやってたんですよね…。現在の駆け落ちドラマに通じるものがあります…(T.T) 確かに、奥さんの酒屋勤めは親族中の恥として鳴り響いたみたいですから、士大夫レベルでこういう面前での接客というのはあり得ないものだったようですね…。逆に庶民レベルでは、こういうママさんのいる酒場ってのはけっこうあったかも。 夏侯淵の娘(姪?)…。良家の娘がじぶんで薪拾いに行って、しかも事もあろうに張飛に誘拐されるというのもアレな話ですが、このエピソードからも、外で働く女性像がなんとなく伺えます…。 未婚の女性ならオッケーというのも、いかにもあり得ます! >むじんさま ネットで太皇帝を調べたら、私のサイトが引っかかりました(;^_^A この太→高というのはいかにもありそうなケース。ほかにも探せばこのパターンで呼ばれてる人いるかも。 マンガFFSでは、皇帝(アマテラス)の先代は「皇太帝」という称号でした。そのまんまやん…。 女性問題…なかなか決定的なものが見つからないですねえ…引き続き情報待ち。
43: 2002/11/01(金) 22:54 おばら 2002年01月27日日曜日 23時16分 >後漢末くらいには、すでに女性が家から出て路地を練り歩き、ふつうに買い物とかしてたのでしょうか うーん、参考になるかどうかちょっとワカラナイですが、 班昭の『女戒』婦行第五には、 「禮義居n、耳無塗聴、目無邪視、出無冶容、入無廢飾、無聚會羣輩、無看視門戸、此則謂専心正色矣。若夫動静輕脱、視聴陝輸、入則亂髪壊形、出則窈窕態、説所不當道、觀所不當視、此謂不能専心正色矣。」とあります。 テキト―に現代風に超意訳すると、(^-^;; 「清潔にして礼を守り、道ばたでは噂話に耳を傾けず、媚びるような流し目は使わず、外出するときはケバい化粧で顔をつくらず、家に居るときでも化粧無しではいけないし、井戸端会議に集まるオバチャン連中の集会に集まったりせず、門の外を通る男に視線をやらない、これが夫ただ一人を大切にするということである。 しかし、浮ついてきょろきょろしたり地獄耳だったり、家にいるときは髪はボサボサなのに外出するときだけは色っぽい化粧をしたり、女性として言ってはいけないことを言ったり、見てはいけないモノをみようとすれば、夫一人を大切にすることのできない女である。」 とでも訳せましょうか…。 女性の外出って結構あった感じしません?
44: 2002/11/01(金) 22:54 ぐっこ 2002年01月29日火曜日 00時41分 ああ、当時の夫人公論(;^_^A ! 班昭さんの文がありましたか! なるほど、これは…一般も士大夫も含めての訓戒のようですが、なんだ、結構みんなフツーに外に出てるじゃん!! やっぱり主婦たちは井戸端会議をやったりしてたんですね…(;^_^A こうやってしつこく戒めるところを見ると、よそのご亭主に色目使う団地妻も多数…。 なんだか、急に目が開けてきた感じです!
45:玉川雄一 2004/05/10(月) 23:48 ちょうどよいスレがあったのでもの凄いサルベージ。 調べものしててふと気になったんで見てみたのですが。 賈詡の諱である“詡”の意味に「やわらぐ」というのがあるようで、 あざなの「文“和”」と対にしてるということでしょうか。 でも詡の第一の意味は「誇る、大言を吐く、ほらを吹く」だそうで(^_^;) ついで「おおきい、あまねし、やわらぐ、敏捷で勇ましい、 はっきりとした物言い、なまめかしい、美しい」などなど。 そういや、羌族に拉致られた時にハッタリかましたりしてましたよねえ(゚∀゚) 蒼天航路でのキャラも大言吐きっぽかったり。 やはり名は体を表すのかしら?
46: 左平(仮名) 2004/05/11(火) 00:06 あっ…それ、羌族ではなく、氐族です。でも、一体何の調べものですか? 「忠」という名でも皇甫嵩に自立を勧めた閻忠という人もいますし、現在でいうと、 あんたのどこが「静香」やねん、という、広島県選出の御仁もいますし…などと茶々を 入れてみたりして。 ともかく、こうしてみると、言葉にはきちんと意味があるんですね。まぁ、賈詡の大言吐き については、閻忠のべた褒めも一因なのかも知れませんが。
47:★ぐっこ 2004/05/12(水) 23:55 というより、「やわらぐ」と「ホラを吹く」の意味が両立している “詡”のほうが凄いような(^_^;) でもホントに、どっちも当たってる んでしょうねえ…。やはり「和」は第二義で、彼自身は第一義と。
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