下
姓?氏?諱?字?
1: 2002/11/01(金) 22:28 マスター ぐっこ 2002年01月07日月曜日 00時13分 >おばら 2002年01月06日日曜日 01時19分 >「妄想レスですまんのですが、 >「珪」とは「ガラスの原料」であり、 >「瑾」とは「純粋で硬い玉」を意味し、 >「亮」とは「あきらか。さえる。まこと。高らかによく通る声。」を意味し、 >「均」は「ひとしくする。すべて。」と漢和辞典あるんで、 >諸葛珪は、自分の名と合わせて、さらに三人の子の名を合わせて理想的な人間像とした?! > >「透き通った玉のように、あくまでも純粋で硬骨を保ち、その明徳は高らかに響きわたり、すべての人に余徳が行きわたる。」な〜んてね。(^-^;; >メッチャ妄想ですわ。 この話題に関しては私も大いに関心あります。 まず大前提としての当時の命名について、とか。兄弟・親族のあいだで共通の名前をつけたり、字を一字共有したり…。 たしか陳舜臣先生の「諸葛孔明」で、諸葛兄弟についてのことも書いてありましたが、実際のところ、当時ほかにも似たような例はあったんでしょうか〜? おばらさまや左平(仮名)さまのレス見てたら、自ずと興味がわいてきました〜!
2: 2002/11/01(金) 22:28 2002年01月07日月曜日 21時29分 手元の「中国姓氏考」によると、 同世代を同字でそろえる「字輩」による命名が流行、定着したのは北宋以降らしいです。 字も兄弟でもバラバラな人もいますし(陸遜・陸瑁とか)。 名前と字だけで「兄弟じゃない」とするのは少し無理があるような。 そもそも亮の子供からして兄が伯松、弟が思遠ですから、 名前にこだわらない家系だったのか、あるいは養子とか… 妄想が尽きないようなので、このへんで。
3: 2002/11/01(金) 22:29 ぐっこ 2002年01月07日月曜日 22時54分 黒竜さま、ありがとうございます! 定着したのは北宋以降ですか…。この当時はまだ新しかった、というよりタブーに挑戦する人々だったんでしょうか(;^_^A 基本的に「家族だから揃えよう」みたいな発想自体が珍しかったんでしょうね〜。諸葛家、確かに息子の代では見事にバラバラ…。まあ養子のやりとりもあってややこしかったんでしょうけど…。あまり気にしなかったようですね〜。 >きらめく群像 どこかで読んだことあると思ったら、ハードカバーの「三国志縦横談」の文庫版でした(;^_^A 基本的に、「ここの掲示板」のノリです(;^_^A マニアックに、マターリと各人物(比較的有名人)を細かく解析。驚天動地の目新しい発見はありませんが、内容に引き込まれます。豆知識もいっぱい。
4: 2002/11/01(金) 22:29 玉川雄一 2002年01月09日水曜日 19時00分 きらめく群像、買いました♪ 荀イクのところまで読みました。 >基本的に、「ここの掲示板」のノリ 読んでみて分かりました(^_^;) ただ、ちょっと飛ばしすぎの部分も見受けられますがね。 あと、以前にこの掲示板で「この本は州牧と州刺史がなんちゃら」ってあったと思うんですけど、この先読み進めると出てくるのかなあ?
5: 2002/11/01(金) 22:29 ぐっこ 2002年01月09日水曜日 21時04分 わ、お買いあげですか! 私は相変わらず金穴で、古書市巡り…(;^_^A 次に見て無かったら新刊買います!(←卑しい) 著者が刺史と牧の区別が付いてない…というやつですね〜。11月26日の書き込みです〜。 私は確認してないですが、文庫化の段階で指摘がなかったということは、やっぱり密かにミスってらっしゃるようで…
6: 2002/11/01(金) 22:30 japan 2002年01月10日木曜日 22時07分 >著者が刺史と牧の区別が付いてない 「欠」の字にあんなに拘りを見せる高島先生らしくないミスですね(笑)。 『きらめく群像=人物縦横談』は我が心のバイブルですが、兄弟問題だけでなく諸葛亮にはやけに辛口な気がします。 北伐に関する「そこらをぐるっとまわって云々」は魏のファンでも「おいおい」と思いました。 >玉川様 荀揩フ項の最後のくだり、 「英雄と賢者の感情の機微だ。後世にはわからぬこともある。」 って良いと思いませんか? あと、張昭の項は非常に笑えます。おすすめです。
7: 2002/11/01(金) 22:30 中根東竜 2002年01月11日金曜日 19時53分 >諸葛氏の血縁関係 この話題、実は以前にあるサイトでも論議されていたのですが、 その時の結論は「この説は高島氏の勇み足だろう」ということでしたね。この説は根拠不足といえるでしょうね。 まあ既に黒竜さんがいわれてますけど、 >名前と字だけで「兄弟じゃない」 っていう考え方がそもそもおかしいように思えてならないです。 名の付け方とか、字のきまりというのは一つの原則に過ぎないわけでして、こういうのは儒教の礼で規定されているわけですが、 「礼は形式ではなく本質を尊ぶ」と、『論語』にはあるんですね。 だから、原則と違う名・字はいっぱいあります。 なんで、こういう時に名や字は根拠としては使えないのです。 >著者が刺史と牧の区別が付いてない 高島氏は、文学系の方なのでこういう制度史には弱いのでしょう。
8: 2002/11/01(金) 22:31 ぐっこ 2002年01月11日金曜日 21時08分 >japanさま おおっ!? 心のバイブルですか!? 私も買おうかな〜。でも最近ネットとかDTPの入門書とかで1万円以上本代で消えてるし…。しばらくは立ち読みかも…。 荀揩フ擁護文とか、なかなか辛辣でしたね〜。基本的に「アンチ」と「信者」の抗争を苦々しく眺めている、というスタンスに共感を覚えました…が、はっきりとアンチ諸葛でいらっしゃる…。孔明、あれはあれなりに凄い人物だと思うけど…。 >中根東竜さま ありがとうございます。高島センセの勇み足説が強いですか〜。 そりゃあ名前の法則(?)だけで親兄弟の判別はできませんか…(;^_^A こういう史書と真っ向から対立する異説をみると、真っ先に飛びつきたくなるクチでして(;^_^A 三顧の礼の異説(孔明が劉備を訪れたというアレです)を初めて知ったときとか、得意げに触れ回ったモノです…。いまでは定説のほうを信用するようにしてますが…。 制度史とか風俗史、日本ではあまり専門書がないから、論文とか詩歌から読み取ってゆくしかないのが残念です…。中国だとそういうのはいっぱい…無いんでしょうか(;^_^A 文革挟んでますし…。
9: 2002/11/01(金) 22:32 玉川雄一 2002年01月11日金曜日 21時46分 うい、「きらめく群像」、全部読みました。 なかなか鋭い切り口とノリがいいのが楽しめたんですが、しばしば「???」なこともありましたね。 顧雍の「まあお父さん大臣だったの!」はツボでした。 で、その…こんな事を申し上げるのは恥ずかしいのですが、結局「刺史と牧の区別が〜」っていうのはどういうことなんでしょう。私も結局分かってないんです(-_-;) 劉焉のあたりに記述がありましたが… それと、諱を避けるお話。東晋の謝安は字を安石といい、またその弟の謝石の字は石奴だったとか。こういう風に二重三重にカブっているというのはいかがなものかと。 それどころか、諱と字が全く同じ人とか出てきますよね。東晋ラスト二代の皇帝、司馬徳操、徳文兄弟、彼等の叔父の会稽王司馬道子。唐代の将軍郭子儀も同様に。 字は自分で付けるにしろ他人に付けて貰うにしろ、後付けで付けるんですよね。その時、敢えて諱と同じ字を付けたっちゅうのはどないなものなんでありましょう。
10: 2002/11/01(金) 22:33 玉川雄一 2002年01月11日金曜日 21時49分 >司馬徳操 イカン、これぢゃ酔狂先生でした。司馬徳宗でございます。
上
前
次
1-
新
書
写
板
AA
設
索
姓?氏?諱?字? http://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/sangoku/1036157308/l50