卍◆◆◆◆◆刺史奮迅◆◆◆◆◆卍
18:2002/11/02(土) 12:56

玉川雄一   

■もすさんの提唱された「徐州刺史おらへんの?」

いました。しかも!

臧覇。
呂虔。

臧覇はおそらく202年〜204年の間に任命されたようです。

【臧覇伝】
「夏侯淵とともに黄巾の残党徐和らを討伐し、功績があって徐州の刺史に昇進した」

【夏侯淵伝】
「済南郡と楽安郡の黄巾賊徐和・司馬倶らが城を攻撃し、県の高官を殺害した。夏侯淵は泰山・斉、平原各郡の軍兵を率いてこれを攻撃し、さんざんにうち破って徐和を斬り殺し、諸県を平定し、その食糧を没収して兵士に給付した」

そして年代の絞り込みは…

【楽進伝】
「黎陽における袁譚、袁尚攻撃に参加し、その大将厳敬を斬り、行遊撃将軍となった(202年)。別軍として黄巾の賊を攻撃し、それをうち破り楽安郡を平定した。ギョウの包囲(204)に参加し〜」とあるので、討伐はこの期間に行われたことに。その後、臧覇は徐州刺史になりました。

おそらく曹操の代は臧覇が務めたようにも思えますが…

続いて【呂虔伝】
「文帝は王位につくと、(呂虔に)裨将軍の位を加え、益寿亭侯にとりたて、徐州の刺史に昇進させ、威虜将軍の称号を加えた」
なんか二回将軍位を与えられておるのですが、一続きの処置じゃないのかもしれませぬ。
呂虔がいつまでこの地位を務めたか定かではありませんが、王祥を招いて別賀とし、民政は彼に一切委ねたそうです。「世間ではそのよく賢者にまかせたことに感心した」とか。

青・徐方面で軍功著しい彼らを刺史に据えたということは、やはり徐州も重要視されていたのではないでしょうか。
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