卍◆◆◆◆◆刺史奮迅◆◆◆◆◆卍
23:2002/11/02(土) 12:57

玉川雄一     2002年03月24日日曜日 00時17分

うわ、ホントだ! ありがとうございました。やはり蜀書と呉書もサーチせねばのう。
ですが、魏書については、200年以前はチェックしてなかったりします。(中途半端やな)

馬超の徐州刺史ですけど、曹操が丞相になってからで、かつ馬超が地元で叛乱する前でしょうから…
208〜211年の間のことなのでしょうか。またいくらなんでも、馬騰達が処刑された時には剥奪されたでしょうねえ。
馬超が現地に赴いた様子もなさそうですし。

…って、あれ? なんだかここ、記述がおかしくないですかね。
馬騰が召し出されたのが208年。本伝と照らし合わせれば、この時馬超は涼州に残りました。続いて、
「これより前、曹公は丞相になると」馬超を招聘するが官に就かず

「それより後に」馬超は司隷校尉の督軍従事となって、郭援を討伐し、斬る

詔勅により徐州刺史に、のちに諫議大夫に

馬騰が入朝 …で、先程の部分に繋がると。

郭援討伐は、鍾ヨウ、張既伝によれば202年ごろのようですね。
(黎陽に退いた袁尚が郭援を送り込んだとあるので)
じゃあその前に曹操が丞相になったというのはおかしいですよね。何かの間違い?

また、郭援討伐後に徐州刺史になったのが正しいとすると、ちょうど臧覇とカブるような。
臧覇はしっかりと現地で働いたようですから、馬超の方は名誉職とか空手形とかだったりしたんでしょうか。

もしかして編者(魚豢か和訳者)のミス? やはり、原文にあたらないと分からんかのう。
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