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卍◆◆◆◆◆刺史奮迅◆◆◆◆◆卍
16: 2002/11/02(土) 12:54 玉川雄一 2002年03月17日日曜日 21時23分 あー、魏書第16の杜恕伝にて、彼が刺史について長広舌をふるっております。 なんでも、「刺史は軍事に携わるのをやめて民政に専念させろや」という趣旨らしいです。いわく、 「州や郡の長官たちは皆ともに人民をいたわる方策をないがしろに、し軍隊指揮の事をならい、農業養蚕の民も戦争のわざをきそっておりまして、根本(農業)に従事しているとは申せません」 また、それより以前に以下のような主張をしたようです。 「州や郡が兵を扱うと、戦功に専心して民政につとめないから、別に指揮官を置いて、[長官には]政治の任務を十分に果たさせるべきだ」 ですがこれは容れられなかったようです。 ちなみに、荊・揚・青・徐・幽・并・雍・涼の諸州は兵を持っているそうです。残りのエン・予・司・冀州だってゼロてんでもないのでしょうけどね。 ところで杜恕自身も幽州刺史に任ぜられました。しかも、建威将軍使持節護烏丸校尉も兼任ったらもう軍事もやれ! ってなものですわね。どうするのかと思ったら、程喜に弾劾されて免官になってしまいました。 杜恕については、もすさんのサイトで紹介されていたかと。 山川の中国史2によれば以下の通り。 「地方行政は州・郡・県三級の行政区画が基本であった。州には長官である刺史、その副官である別賀従事、文書を扱う治中従事・主簿、人事担当の功曹、管下の軍権を観察する部従事などがあった。」 「なお刺史は多くの場合将軍号をおび(将軍号のないものを単車刺史とよんだ)、その将軍号によって軍隊をひきい、かつ将軍に付属する府の属官が軍事を担当し、いっぽう、民政は刺史の属官である別賀従事以下の州官が担当するという区別があった。」 「ただし、刺史の持つ将軍号はしだいに名目的なものとなり、かわって軍事を担当する「都督」の役割が増加した」だそうです。 杜恕の主張は、このような形式に対して実状を訴えたものだったのでしょうかね。
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