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【か、カウ…】牛金【ゴールド…?】
1: 2002/11/02(土) 12:45 黒竜 2002年02月18日月曜日 23時00分 最近、中央研究院のサイトで二十五史をザラッと読んでいたのですが、 そこでなんと、あの牛金の隠し子を発見!! 「司馬叡、字は景文。晋将牛金の子なり」とあるじゃございませんか奥さん! こりゃ大発見か!と思ったら、その隠し子の正体は東晋の元帝。 どうやら西晋→東晋のながれを否定するためのデマのようで…(T T) それにしても牛金にこんな逸話(デマでも)があるとは今の今まで知りませんでした。 晋の歴史も奥が深いです…
2: 2002/11/02(土) 12:45 玉川雄一 2002年02月18日月曜日 23時55分 これ、牛金って同一人物でしょうかね。 晋書には当然(?)載ってないみたいですが。 十八史略には、 「或いは曰く、(司馬)睿の母、実は琅邪(王・司馬覲)の小吏牛金と通じて睿を生めり、と」 曹仁麾下の部隊長・牛金とこの牛金…年代が合わないような。 司馬睿の生年は276年ですし。 でも、「晋将牛金」というのも気になる。 それと、うろ覚えですけど(前者の)牛金って、 司馬懿に殺されたとかいうのをどこかで読んだような記憶も。 出典忘れてしまいましたが。 どなたか増援プリィヅ!
3: 2002/11/02(土) 12:45 NOB 2002年02月19日火曜日 00時04分 『晋書』「元帝紀」(司馬睿の紀)の末尾に、このことが書かれています。話の内容は、 「かつて玄石図に「牛継馬後」とあったので、宣帝(司馬懿)は牛氏を嫌い、武将の牛金を鴆殺した。ところが琅邪恭王(司馬覲)の妃の夏侯氏が密かに小吏の牛氏と通じ、元帝を生んだ。玄石図にあったとおりになったのだ。」 といったことです。ここでは牛金じゃなくて牛氏ですが。 十八史略で牛金となっているとは知りませんでした…。晋書の記述がいろいろと混同して、牛氏が牛金になっちゃったんでしょうかね?
4: 2002/11/02(土) 12:45 NOB 2002年02月19日火曜日 00時24分 すみません、追加です。 『晋書[冓斗]注』という晋書の注釈本(『三國志集解』の晋書版みたいなもんです)に、しっかり考察が書かれていました。先に調べてから書き込めばよかったですね(^-^; 孫盛『晋陽秋』では「牛欽」、魏收『魏書』では「牛金」になっているそうですね。[冓斗]注は王隠『晋書』が牛金鴆殺が公孫淵を滅ぼした直後のことであると言っているのを手がかりに、牛金と牛欽は別人だろうと言っていました。 なお、司馬睿が牛氏の子だというのは、沈約という歴史家が『宋書』「符瑞志」で言ったのが初出のようです。ちなみにそこでは「小吏の牛という姓の者」となっているようですね。 ところで、私ははじめ、黒龍さんの「司馬叡、字は景文。晋将牛金の子なり」が二十五史のどこにあるのか分からなかったのですが、まさか『魏書』に晋の元帝の伝が立っていたとは…ビックリです。
5: 2002/11/02(土) 12:46 黒竜 2002年02月19日火曜日 00時26分 補足です。 中央研究院のサイトで「牛金」で検索したところヒットは8件 うち3件がこのゴシップに関するものでした。 最初はNOBさんがあげていらっしゃるように晋書、 次が宋書の符瑞志で、最後に魏書僭晋司馬叡伝となってます。 で、司馬睿の親を牛金としてるのは魏書だけでした。 おそらく当初は、 「司馬懿は予言を信じて牛金を殺したけれど運命には抗えずしっかり牛氏の血統は残りました」 という話だったのが、より直接的に変わっていったんじゃないでしょうか? で、十八史略はそのあいだをとって小吏牛氏=牛金としたのでは?
6: 2002/11/02(土) 12:46 黒竜 2002年02月19日火曜日 00時28分 うわ、NOBさんと内容が被ってしまった(汗
7: 2002/11/02(土) 12:46 玉川雄一 2002年02月19日火曜日 00時59分 やってもーた… >「『晋書』「元帝紀」(司馬睿の紀)の末尾に、このことが書かれています しっかりと載っておりました。どこかで見たような気がしていたのですが… 冒頭部分しか読まなかった私の手落ちであります。しかし、ちゃんと考察されているのですね。 ところで、『晋書[冓斗]注』って「解體晉書」の方でもよく出てきますが、これも手に入るものなのでしょうか? 押さえておいた方がいいのでしょうかね。
8: 2002/11/02(土) 12:47 ぐっこ 2002年02月19日火曜日 01時33分 え!? 牛金じゃなかったんですか!? がーん! というか、三国志5あたりの辞書で見たきりだったんですが…そんなにも入り組んだ話だったのですか! 黒竜様、玉さま、NOBさま、情報ありがとうございます! …「晋書[冓斗]注」!? また新たなアイテムが!(;^_^A ああ、三国志集解もまだ読んでないのに…(T.T)
9: 2002/11/02(土) 12:47 NOB 2002年02月19日火曜日 15時39分 黒竜さん、先走ってしまいすみません(^-^; > 「司馬懿は予言を信じて牛金を殺したけれど運命には抗えずしっかり牛氏の血統は残りました」 > という話だったのが、より直接的に変わっていったんじゃないでしょうか? 私も最初、伝えられる話の内容そのものが意図的に変遷させられたものだと思ったのですが、『晋陽秋』で「牛欽」とあったことを考えると、きっかけは単純に「欽」と「金」をどこかで誤写しただけなのではないかという気もしてきました。 >玉川さん 『[冓斗]注』は台湾の芸文印書館から「注疏本二十四史シリーズ(名称うろ覚え)」として『三國志集解』などと一緒に出ていますので、入手は可能かと思います。私は琳琅閣書店の夏季セールで7700円で購入しました。通常時だと1万2千円くらいでしょうか? 自分が翻訳する場所については注釈の参考にもなりますし、コピーなどしておいた方がいいかもしれません。でも玉川さんはかなり読まれているので、いっそ買ってしまっても損になることはないと思いますよ(^-^) 夏まで待てば、琳琅閣書店は3割引きになりますよ♪ どうでもいいことですが『晋書[冓斗]注』は『三國志集解』に比べると活字が汚い、というか手書きで明朝体(宋朝体)を書いたような感じです(笑) ところで、晋書って逸話や小説の類も何でも取り込んでしまったため「二十四史中最悪」とも評されたりしていますが、元帝の出自の話などのような志怪逸話みたいなものは全部各伝の末尾に分けて記述されていますよね。(とはいっても、羊[示古]伝・杜預伝で確認しただけですが//爆) そのように史実と逸話をはっきり区別しているところに編纂者の歴史家としてのポリシーが垣間見られる気がしますし、晋書の読み方のヒントになるような気がしました。って、そんなのは当たり前だって言われそうですが(笑)
10: 2002/11/02(土) 12:48 中根東竜 2002年02月20日水曜日 00時43分 『晉書』の話題が出ると登場する、中根です(笑) >「或いは曰く、(司馬)睿の母、実は琅邪(王・司馬覲)の小吏牛金と通じて睿を生めり、と」 明の庶民向け歴史書、馮夢竜の『智嚢』(ちのう) にも似た記述があります。 まあ、庶民が読む本ではこういう誤りが流布していたんでしょうね・・ 世界ふし○発見でトンデモ本が良く出るようなものなのかなぁ。 >NOBさん >ところで、晋書って逸話や小説の類も何でも取り込んでしまったため「二十四史中最悪」とも評されたりしていますが、 基本的な評価としては、それはあたらないですね。 『晉書』は『三國志』よりも評判が悪いのですが、 それでも他の本よりはずっといいとされているようですよ。 正史を全部読んで研究ノートを書いた 趙翼先生という清の歴史家の意見はこんな感じです。 「『晉書』はおかしな逸話が多いが、それでも文章も上手いし『魏書』『宋書』よりは遙かに上だ。(中略)『十六國春秋』(五胡十六国の野史)とは比べものにならない」 (趙翼『二十二史剳記』より、意訳) 『晉書辞典』もこれに賛成のようです。ここらへんが妥当な 定説じゃないかな、と思いますが。 >元帝の出自の話などのような志怪逸話みたいなものは全部各伝の末尾に分けて記述されていますよね。 これは確かにそうですねぇ。うーん僕はこれまで気づかなかった・・ やはり、作者たち(『晉書』は18人のスタッフの分担執筆) の史料に対する見識なのでしょうか?
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