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【か、カウ…】牛金【ゴールド…?】
25: 2002/11/02(土) 16:29 むじん 2002年06月16日日曜日 07時07分 おなじ公孫淵叩きのところに陳ケイという人も出てきます。 陳登パパだったら面白いな♪
26: 2002/11/02(土) 16:29 玉川雄一 2002年06月16日日曜日 09時35分 >陳珪 さすがにソレは…(^_^;) もはや人外の生物では。 まあ、何百年も生きていたと称する人の出るお国柄(?)ですしねえ。 ちなみに親記事で挙げた引用文、主語はもちろん司馬懿です。 「司馬懿が牛金、胡遵らをひきいて」であって、牛金が胡遵らを率いたんではありませんので念のため。 もっとも曹仁麾下の彼と同一人物なら、この頃には相当の地位に昇っていたのでしょうね。 江陵戦役から30年、血気盛んな一部隊長から堂々たる将軍へ… う〜ん、サクセスストーリーだねえ。(豪快にはしょられてますが) …などと妄想してみる。
27: 2002/11/02(土) 16:30 ぐっこ 2002年06月16日日曜日 16時31分 やっぱり、「司馬懿の粛正」のほうの牛金ではないかと〜。 晋書読む限り、ことさらに誅殺されるほどの名将に育っていたようですし〜…曹仁の下でみっちりしごかれたのではないでしょうか。 年齢から言うと、一介の部隊長ではなく、中軍の将、もう後将軍になってた頃かも?(魏の官位かなあ) 彼もトピたてたら面白いキャラかも…味好漢!
28: 2002/11/02(土) 16:30 もす 2002年06月16日日曜日 18時10分 う〜ん、牛金。やっぱり面白そうな人物ですなぁ。 今度調べてみましょかな・・・
29: 2002/11/02(土) 16:30 ぐっこ 2002年06月23日日曜日 14時36分 ハァハァ…期待…もすさま…。 それにしても牛氏って、牛金以外に目立つ連中がいたかどうか… あ、董卓の女婿にも一人いたか…。 思えば、彼ってば董卓軍団の事実上のナンバー2。反董卓同盟を蹴散らすために派遣されていた軍団のリーダー。 本当にそんな大役が務まるほどのオトコだったの!?
30: 2002/11/02(土) 16:30 クェン 2002年06月28日金曜日 00時12分 >牛氏って、牛金以外に目立つ連中がいたかどうか… 張遼伝によると、張遼が張コウ・「牛蓋」らを指揮して陳蘭を討伐したらしいですね。 張コウと並んで名前が登場するなんて、なかなか大物っぽい… 正史で五将軍と名前を並べるほどということは史奐や朱霊クラス!? 牛金の親とかだったら面白いんだけど… >あ、董卓の女婿にも一人いたか…。 >思えば、彼ってば董卓軍団の事実上のナンバー2。反董卓同盟を蹴散>らすために派遣されていた軍団のリーダー。 >本当にそんな大役が務まるほどのオトコだったの!? 猛将の李カク・郭レ・張済(張繍もいたのかも)らを従え、さらに賈クまで!人材的には悪くない…けどこんな連中を統率するのは大変そう…。とはいえ牛輔が逃げたとたんに、軍が崩壊しかけたのを考えると、それなりに統率力があったのかもしれません。
31: 2002/11/02(土) 16:31 ぐっこ 2002年06月29日土曜日 23時32分 おっとお! クェンさま感謝〜! 牛氏…そう言う人物がいたのか〜!確かに名前の釣り合いでは宋謙的なポイントにいる人物かも。 牛輔は、もうちょっと賢く立ち回ったら天下を取れていたかも知れない人物。軍団も人材もあれだけそろっていて…。実際に董卓が婿に選ぶほどの人物、ただのバカではなかったと思います。 しかし死に様がかっこわるい…
32: 2002/11/02(土) 16:31 おばら 2002年07月13日土曜日 23時17分 ども。お久しぶりです。 牛氏ねたを一つ。 「新唐書」によりますと、牛氏はもともと子姓(殷王朝の姓)であったそうです。で、殷の後裔であった宋の微子がいまして、微子の後裔に司寇になった牛父という人物がいたそうです。 その牛父の子孫が、後漢初期に活躍した牛邯だそうです。 「後漢書」によりますと、牛邯、字は孺卿で隴西狄道の人。 隗囂に属していましたが、王遵の説得に応じて投降しています。 太中大夫になった後、馬援や杜林らに推薦されて護羌校尉に任じられ、來歙とともに隴右を平定してまわっています。 「新唐書」によりますと、その後牛氏は安定に移ったそうです。 狄道出身ということで、董卓(臨桃出身)の女婿・中郎将牛輔と何か関係があるやもしれませんねー。臨桃と狄道は同じ川ぞいにありますからねぇ。 あ、牛金から離れていく・・・
33: 2002/11/02(土) 16:31 ぐっこ 2002年07月15日月曜日 01時19分 うお! おばらさま、ありがとうございます! なんとまあ、微子の後裔ですか! 牛邯!牛タン…(^_^;) いや、それはともかく、隴西方面ですと、確かに董卓とつながりがあっても不思議でない位置ですねえ…。牛氏は、涼雍のあたりでなかなかの実力を持つ一族になっていたとか? 董卓が敢えて婿に選んだのも、その辺のバックボーンを期待して…? 考えれば考えるほど面白い! 牛金…あ(^_^;) まあ牛氏スレと言うことで〜!
34: 2002/11/02(土) 16:32 左平(仮名) 2002年07月31日水曜日 22時48分 興味あるネタなので、上げておきます。 牛氏も、牛邯の子孫とすれば、なかなかの名門と言えそうなのですね。 と、なると…こんなのはどうなんでしょう? 牛邯……牛輔┬─牛蓋 └─牛金(江陵の戦いの時30前後という設定) 裏付けは何もありませんが、こういう系図のもと、一編の作品が作れるかも知れませんね。 …董卓が凶刃に斃れ、娘婿の牛輔もまた命を落とす。董卓に連なる者達が次々と殺される中、脱出した兄弟がいた。牛輔の子・牛蓋と牛金である(脱出の際、名を変えたという設定も可)。 乱世の中、頼る者もない流浪の旅を経て、二人は(素性を隠して)曹操に仕える。(直接にではないが)父の仇といえる呂布との戦いでの活躍が認められた二人は武将に抜擢され、兄の牛蓋は張遼達と共に陳蘭討伐で戦功を立てるが、早世する。 一人残された牛金は、名将・曹仁の配下として活躍し、その庇護のもと着実に位階を上げていく。そうして、魏の忠臣として自他共に認める存在となる。 が、武人らしい硬骨漢(さらに、たたき上げの軍人)である彼の存在は、宮廷の実力者達には鬱陶しいものでもあった。やがて彼が牛輔の子である事が知られ(公表はされなかったが)、その為に自殺を強いられる。 その死の真相を知った子孫達により、報復がなされる。それは… どなたか挑戦されては? 私は、この件については情報不足なので、このくらいしか。
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