下
【か、カウ…】牛金【ゴールド…?】
31:2002/11/02(土) 16:31
ぐっこ 2002年06月29日土曜日 23時32分
おっとお! クェンさま感謝〜!
牛氏…そう言う人物がいたのか〜!確かに名前の釣り合いでは宋謙的なポイントにいる人物かも。
牛輔は、もうちょっと賢く立ち回ったら天下を取れていたかも知れない人物。軍団も人材もあれだけそろっていて…。実際に董卓が婿に選ぶほどの人物、ただのバカではなかったと思います。
省7
32:2002/11/02(土) 16:31
おばら 2002年07月13日土曜日 23時17分
ども。お久しぶりです。
牛氏ねたを一つ。
「新唐書」によりますと、牛氏はもともと子姓(殷王朝の姓)であったそうです。で、殷の後裔であった宋の微子がいまして、微子の後裔に司寇になった牛父という人物がいたそうです。
省16
33:2002/11/02(土) 16:31
ぐっこ 2002年07月15日月曜日 01時19分
うお! おばらさま、ありがとうございます!
なんとまあ、微子の後裔ですか! 牛邯!牛タン…(^_^;)
いや、それはともかく、隴西方面ですと、確かに董卓とつながりがあっても不思議でない位置ですねえ…。牛氏は、涼雍のあたりでなかなかの実力を持つ一族になっていたとか? 董卓が敢えて婿に選んだのも、その辺のバックボーンを期待して…?
省9
34:2002/11/02(土) 16:32
左平(仮名) 2002年07月31日水曜日 22時48分
興味あるネタなので、上げておきます。
牛氏も、牛邯の子孫とすれば、なかなかの名門と言えそうなのですね。
と、なると…こんなのはどうなんでしょう?
省19
35:2002/11/02(土) 16:33
左平(仮名) 2002年07月31日水曜日 22時53分
↑ありゃ…またずれちゃいましたね。
一応、牛輔の子に牛蓋(兄)、牛金(弟)という設定で考えてみました。
それはそうと、最近はこんなネタしか提供できないのが情けない(完全に空想の産物ですし)…。正史もただの事典となっている状態で、ろくに読んでないんですよね。
36:2002/11/02(土) 16:33
クェン 2002年08月01日木曜日 00時31分
>もす様
牛蓋と牛金が牛輔の子という設定だと…2人は董卓の孫ですか!?
これは強そうだ。
省9
37:2002/11/02(土) 16:33
もす 2002年08月01日木曜日 00時58分
⇒クェンさん
ん? わしではなく左平さんでしょうか??(;^_^A
省17
38:2002/11/02(土) 16:34
クェン 2002年08月01日木曜日 01時29分
もす様、情報ありがとうございます。変な書き方で惑わせてしまったようですみません。
馬vs牛は235年ですか。なるほど、この時期であれば、魏延を斬った功績によって馬岱が大軍を動かす権力を得ていてもおかしくないですね。明帝紀にも後主伝にも記されてないのが不思議ですが…
省9
39:2002/11/02(土) 16:34
ぐっこ 2002年08月01日木曜日 23時11分
>牛金
おー! 左平(仮名)様、そのシチュかっこいい! 確かに設定としてはムリがありますが、まあ史料残ってない人たちだし(^_^;)
牛輔は…本当に興味のある人物です。死に様の格好悪さがまた萌える…
省11
40:2002/11/02(土) 16:34
むじん 2002年08月20日火曜日 23時23分
今日、徐晃伝を読み返していたら、朱蓋なる人物を発見。あれれ、もしかして牛蓋と同一人物じゃないかな、と思って三国志集解の徐晃伝を開きましたが、とくに記述なし。まさかっ、と、今度は集解張遼伝を開くと「朱蓋(宋本では牛蓋)」となってました。ありゃま〜。
というわけで、残念ながら牛蓋は実在しない模様です。ちゃんちゃん。
上前次1-新書写板AA設索