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関羽>徐晃? ちくま和訳
4: 2002/11/02(土) 13:28 岡本 2002年04月09日火曜日 22時05分 本題からずれますが。 >註で関羽は徐晃を兄と呼んでるんだから徐晃のが若いとは考え>難いし、 正確なご返事をどなたかにいただきたいのですが、中国では±5才くらいの年代なら、相手のことを仮に自分より年下でも”兄”と呼ぶそうです。中国では年上を敬う傾向にありますが、正確な年齢差を厳密に気にしだすのは本当に血縁を結んだとか義兄弟になったとき(水滸伝)ぐらいだったと思います。 ですから、徐晃の方が、即年上とは言えません。戦歴を見た限りでは、大体30歳くらいで大舞台に顔を出し始めるとして、関羽の方が数才年上というところではないでしょうか。 >戦術面で関羽は負けたんだから若さは関係ないし…訳 >者による関羽が徐晃に負けたことに対する言い訳にしか思え >ん。」 訳に対しては、訳者の価値観が入るのは避けられませんが。 私観では、戦術面で関羽が負けたとは単純にはいえないと思っています。 旗幟を鮮明にしないとアンフェアですので、申し上げますと 私は関羽ファンです。 もちろん、関羽を完璧人間だったと評する気はありません。できる人間ではあったでしょうが、高すぎる自尊心が災いして生じた“馬超論議”や“黄忠へのやっかみ”や孫権に対する“狗の子”発言等、好んで敵を作ったような態度は「どーにかならんかったもんかねぇ」とぼやく事しきりですし。 当初、徐晃は新兵が多いという理由で交戦を避け(野戦指揮官としての資質の高さを示す)、荊州陥落の情報が菫昭の策で関羽陣営に伝わり、関羽陣営の士気が地に落ちてから交戦しています。将軍として徐晃が非常に有能なのは間違いありませんが、戦術というより機を見るのに敏だったというべきでしょう。この時点で樊城の曹仁にもこの情報は伝わっており、関羽軍は数が上で士気も上の敵に逆包囲されたような形でした。確かに12重の逆茂木を突破したのは脅威ですが、状況を考えるとこのような状態で軍が完全に崩壊せずに総勢3万のうちの数千だけでも確保して自ら徐晃に相対して被害を極力減らそうとした関羽の統率力にむしろ私は凄さを感じますが。于禁の数万は完全に崩壊しましたし。 将軍の定義自体が非常に問題をはらんでいますが、私の定義では大まかに分けて、2通りで、 1.戦闘と戦術に長けた千人単位の比較的少数部隊を率いた戦い で無類の強さと統率を示す指揮官。野戦型猛将の典型。必ず しも馬鹿ではない。 2.戦闘・戦術には必ずしも優れていないが、万人単位の大部隊 の統率に優れた才を示す。文官型の指揮官。将の将か。必ず しも賢くはない。 大部隊と少数部隊の統率は同一ではありませんので。 また、都督や君主は優れた1.タイプの部隊長を数多く持てるという利点がありますので、純粋に将軍としては評価しかねるものがあります。(確かに曹操は自身、優れた野戦指揮官ですが。) 国家の創業期には、1.のタイプが戦歴を重ねて2.の性格も併せ持つようになり、とんでもない将軍が出てくる可能性があります。 ですから、私は“後漢・三国で最高の将軍を上から5人挙げろ”といわれると “1が関羽、2が張飛、3、4は張郃・徐晃、のどちらか、5.は張遼”と現時点では答えるでしょう。 以上、偏った感もある意見です。
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