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$後漢−三国時代の貨幣¥
9: 2002/11/02(土) 13:40 黒竜 2002年04月10日水曜日 01時07分 兌換のようです。後漢が鋳銭専門の役所を持たず、 太僕所属の「考工」が祖範を作り、それを各郡国に配布して鋳銭を行っていたそうです。 各地に鋳銭官が置かれそれに登録した民間の工匠が鋳造をおこないますが、その際法規より軽くしてみたり鉛を混入したりと不正が働かれたようです。 こうして 貨幣の質が悪化→良銭は金持ちが貯金→流通するのは悪銭。という流れに董卓がとどめを刺した感じです。 ちなみにこの本には董卓の作ったという董卓小銭の写真が載っていますが貨幣と言うより「銅の輪っか」という印象です。素人目にも粗悪さがわかります。 ところでこの本かなり難しいです(実際かなり混乱しながら書いてます)。 より深く知るためには購入をお薦めします。 朝日選書から1400円で2年前に出版された本なので比較的手に入れやすいかと。
10: 2002/11/02(土) 13:40 白崎ゆきと 2002年04月11日木曜日 13時05分 『貨幣の中国古代史』おもしろそうですね。 う〜ん、貨幣そのものについては知らないのですが……。 市定さまの説によれば、前漢のころは黄金などが大量に存在したため流通も活発だったが、じょじょに黄金などは姿を消してゆき、後漢末にはすっかりなくなってしまったそうです。 ちなみに、当時の先進地域であった西アジアへ流出してしまったとされています。 当時の貨幣は兌換というよりも、それ自体が貴金属の品としての価値をもってこそですから、「貴金属の量≒貨幣の量」。 銅などの大量生産が行われるのはもっと後の宋代ですから、当時は深刻な貨幣不足だったたみたいです。 董卓はそれを一気に解消すべく、大きく質を落として大量発行したものの、火に油だったと。 当時は貨幣にとどまらず、社会システム全体が壊れちゃったわけですから、個人的にはソ連邦崩壊後の惨状を参考にイメージするようにしています。 一切れのパンを手に入れるために長蛇の列というアレです。 当時には国際援助なんてありませんし、法律など国家などによる掣肘もないわけですから、アレよりもずっと悲惨な状況が展開されたでしょうね。 曹操などは匈奴や烏丸をあごで使ってますけど、「食わせてやるから、キリキリ戦え!」って感じですからねぇ……。
11: 2002/11/02(土) 13:40 ぐっこ 2002年04月13日土曜日 00時43分 おっとお、亀レスです。白崎さま、いらっしゃいませ〜。 え!? 中国の金は西へ流出していったのですか! そういえば中国で金貨が使われてた話、あまり聞かない…。 なるほど、当時は貨幣自体が一種の貴金属だったのですか〜。 でも社会の混乱とともに貴金属そのものの価値さえ下落し、喰うために人が人を殺すようになると、もう金なんぞ幾ら持っていても同じ。 ソ連崩壊混乱とはよいたとえ! 私的には、紙幣を額ではなく重さで計っていたスーパーインフレーション時代を絵として想像します(^-^; 劉備に金をごっそり譲ってくれた商人連中も、「重いし邪魔」ということで劉備に譲っていったのかも…
12:age 2011/10/26(水) 17:44:50 ID:PmtJjtiT0 [age@yahoo.co.jp] とろとろ・・・おっぴろげ(;・ω・)→ hemn.me/img/?d=3736041
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