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$後漢−三国時代の貨幣¥
6:2002/11/02(土) 13:38
岡本 2002年04月09日火曜日 20時53分
黒龍様、松竹梅様、
非常に興味深い内容で、是非ともいろいろと教えていただきたく思います。
>悪銭と良銭の違い!
>多少質が悪くても、政府公認で流通している貨幣の価値が上下す>るのがわからないです…。
正確な知識は持ち合わせていませんが、古代・中世・近世の日本でも似たことはありましたよね。
兌換(材質自体の価値が大)と不換(材質の価値は小、発行権力の基盤等が効く)の違いとなりますか。語源は金と交換が可能か否かですが。
和銅開チン(漢字忘れました)の例では、708年?の日本で最初に銅が産出したときでしたので、この時は材質だけで十分通用したでしょう。話は飛びますが、最初奈良時代は銅銭の受け入れがうまく行かなかったので銅銭で位を買うことを認めていた時期もありました。流石に問題があったので(売官行為そのものと、皆、逆に銅銭を蓄えることになり余計流通しなくなったため)すぐに廃止したと思いますが。
だんだん、銅銭が流通するようになりますと、銅銭の絶対数が足りなくなりますので、各人が作る”私鋳銭”を認めるようになります。ここで、うまく鋳造できたものが良銭、できの悪いものを鐚銭(ビタ一文のビタです)といいました。この場合、価値を決めるのは、材質でなくきれいにできたかそうでないかとなります。確か8〜20倍くらいの価値差があったように記憶しています。
価値が最も高いのは中国から輸入した銅銭でした。
平家政権の財政基盤の一つが宋から輸入した銅銭(=宋銭)でしたし。
菫卓政権の五銖銭の場合、正史の記述は失念しましたが”縁取りも刻印も無くただ鋳固めたものだったのがインフレの原因”あったように思います。
江戸時代の日本で、藩が財政難の対策として”藩札”を出しましたが、これは唯紙に所定の印を押したものでした。一種の政権公認不換貨ですが、”元手と額面が全然つりあわない(これが大事)”ため、インフレを悪化させ、明治新政府の時も回収に苦労したようです。第一次大戦直後のドイツでも紙幣の乱発でインフレになりましたし。
結論として、不換の貨幣・紙幣はどの時代も問わず、発行政権が”額面どおりの価値がある”として、それに対応した経済対策を進めていない限り、実効はないということになります。現代程経済政策に気を配っていない過去で、不換の貨幣が額面通り通用するには、その貨幣が製作時にそれ額面に相当する手間暇を掛けていないと(流通数に制限がつくので、経済の流れを不当に歪めない)誰も認めはしなかったということでしょう。菫卓の五銖銭は、不等号が大きすぎたことになります。
>「貨幣の中国古代史」、欲しいなあ…
私も興味あります。
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