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姜維ってどうよ?
4: 2002/11/02(土) 13:46 木人 2002年04月08日月曜日 18時29分 >若き日の姜維崇拝も「コーエーの呪縛」の一つだったんでしょうなあ… 呪縛というのは怖いですね 私も色々かかってて大変です >自分の立場に翻弄された人ではないでしょうか。 そうか〜 それもあるのか ありがとうございます松竹梅さん
5: 2002/11/02(土) 13:46 もす 2002年04月08日月曜日 21時28分 まず、「一軍の将」としての有能さは、無視できないモノが、いや、素晴らしいモノがありますよね。王経や徐質を破るなど、これには疑いがありません。無いのですが、やはり私も、「『一軍の将』であって『大軍の総帥』や『一国を担う宰相』ではない」と考えています。 簡単に言えば、戦略性が欠如しているからなんですが、それを端的に表しているのが、 「敵を(益州内に引き寄せて)殲滅させる方策です」という発言と、 「(兵権を取られるのを恐れて)二度と成都に帰らなかった」という行動ではないでしょうか? 一国の軍事を司る大将軍が「侵入を食い止める」事よりも(敵を引き寄せてでも)「敵の殲滅」を願うのでは、「名誉欲の表れ」と言われても詮無き事。なぜなら、「敵を殲滅」できなかった際には州内に敵勢力を残す事になり、盆地という益州の特性上、滅亡は必至。 命令系統の乱れはあれど、「短期間に蜀が滅亡まで到ってしまった要因」の一つに、(前述の)彼の建策を挙げるのは当然だと私は思います。 また、『国家権力の中枢』と『軍事の中枢』が別箇所にある時、後者が前者を転覆させる危険性は、決して低いものではないでしょう。永嘉の大乱で石勒や王弥が独立、半独立体勢に入ったり、桓温が東晋を滅ぼしかけたりしたのは、分かりやすい悪例だと思います。そして、国家間の状況を考えると酷かもしれませんが、国家の大権を有する人物としての責任を考えると「彼は非難されるべき」と思わざるをえません。 蛇足ですが、益州独立政権という事を考え、そして益州人民を憂うなら、姜維が蜀漢を滅ぼした方が良かったのかもしれませんね。結果的に戦乱の時代は長引いたかもしれませんが。。 ただ、最初にも書きましたが、仮に、張遼や楽進などが同様に国家権力を握らざるを得なくなったら?と仮定すると、「彼を無闇に批判する事は出来ないよなぁ」といった所に落ち着くのではないでしょうか? (^-^
6: 2002/11/02(土) 13:47 クェン 2002年04月09日火曜日 00時26分 私は横山三国志が三国志とのファーストコンタクトだったのですが、 姜維はなんか不自然な存在でした。 諸葛亮の策を見破るほどの知恵を持ち、かつ一騎打ちでは趙雲と互角…当時の私は純粋でしたがそれでも「嘘くせえ!」などと思いました。で、三国志の世界に溺れるうちにやっぱり嘘だったことを知り一安心。 今ではその生き様が好きです(正しいとは思ってないけど)。 もし魏に残っていたら正史の註に記されるくらいの存在、または運がよければ魏書第十八(李典や李通の伝)に名が加わるような存在かなと思ってます。
7: 2002/11/02(土) 13:47 ぐっこ 2002年04月09日火曜日 00時52分 姜維… 忌憚無く、まっすぐな感想を書かして貰いますと、今でも好きです。 戦バカで自分のことしか考えて無くて旧陸軍参謀よりタチ悪いタカ派でも、いまだに好きです。 こりゃあ初期のすり込みが効いてますねえ…。吉川三国志のアレが…。 まあ正直な話、姜維は知勇兼備とはほど遠いタイプの軍人でしょう。我々のイメージで言えば、むしろ張飛・馬超あたりに近いような猛将。 たぶん戦場での采配は三国屈指で、陳泰だの昜だの郭淮だのいうバケモノ級と直に戦うようなことがない限り、まず負けることはなかったでしょう。 鍾会が姜維を絶賛したとき、その聞き手になっていたのは若き杜預。敵方から見ても、決して軽視してよい凡将ではなかったでしょう。 ただまあ、張飛や馬超に国防の全てをゆだねるとどういう結果になるか…というのを見事に体現してくれました(;^_^A
8: 2002/11/02(土) 13:47 玉川雄一 2002年04月09日火曜日 20時29分 味好漢列伝の方でハジけてみました。でももう一押し足りないかも。 この際、姜維に対するコーエーの呪縛をうち砕いておくんなまし! 一応、「将軍」としては評価してやりたい。
9: 2002/11/02(土) 13:48 ぐっこ 2002年04月09日火曜日 23時42分 確認! 私もあんなカンジだと思ってます。
10: 2002/11/02(土) 13:48 玉川雄一 2002年04月13日土曜日 11時16分 木人さんの提案のお陰でコーエーの呪縛が一部解けました。 味好漢列伝をお借りして、今後も続けていこうと思います。
11:無寿 2004/02/16(月) 00:26 みなさんこんばんわ。いつも楽しく皆様のスレを拝見させていただいて いています。なかなか勉強になります。 スレを見ました。 評価の低さに残念です。確かに一時期は、正史などを読み、「戦争人間」 などと思い、蜀滅亡の原因の筆頭に挙げても過言ではない。などと思いました。 しかし最近、彼の置かれている立場的に無理もない事であった。 と思い始めました。魏と言う大国に一地方軍閥的な蜀が対抗するには 戦争で勝つしか手は無く、勝つ為には戦争しかありません。 しかし魏は大国。兵数、物資、装備のあらゆる点で蜀に勝っており、 人材においても蜀を軽く凌駕しています。もはや一人の人間の能力で 勝てる時代は終わっていたと思います。彼は蜀が生き残る為に必要な 事を必死に行っていたのだと思います。本国からの支援は無いに等しく、 よそ者扱いをされていたようです。しかし部下からの信頼は厚かった ようですし。亡国の名将。憂いの名将といった言葉が一番似合う ような気がします。私は、彼を陸遜と肩を並べられる存在だと思います。
12:★ぐっこ 2004/02/16(月) 01:10 [sage] はじめまして、無寿さま。書き込みありがとうございます〜。 規約通り、こちらに移動して頂くということで(^_^;) そうですねえ、一時期に比べて、短絡的に諸葛亮やら姜維叩きをする一派が だいぶ減ったようで、蜀ッカーの私としては喜ばしい限りです。 最初に、私の立場と意見をはっきり書いておきましょう。 私は人物の生きざまを「( ゚Д゚)カコイイ!」「好き!」「惚れた!」と叫ぶ事は多いですが、 必ずしもその後に「やっぱ彼って当時最高級の英雄だよね」とマンセー評価することは皆無です。 というより、「当時最高の英雄」を格好いいとは思わないタチなので。 姜維は、まさにそれ。「生き様は格好いいし個人的に好きだが、マンセーできない」と。 ですから、私が姜維について語るとしたら、上の立場でのものになりますね…。
13:★ぐっこ 2004/02/16(月) 01:39 これまでのレスの焼き直しになりますが… 漢中閥(敢えて漢中政府と言わぬ)と朝廷の軋轢、亡命軍人と生粋の蜀軍人たちとの不和などに触れだすと キリが無いのでパス。 無寿さまが仰るように、姜維は到底凡将などと蔑まれる存在ではないでしょう。 年代の違う武将たちとは比較する術がありませんが、少なくとも同時代を生きた 敵将たちにとっては、畏怖に値する名前であったと思われます。 ですが、それはあくまで「国境軍の指揮官」という範囲。呉の将兵が張遼に怯え、魏の 将兵が関羽来襲と聞いて浮き足立つレベルと、そう違いは無いでしょう。 陸遜と違い、彼は国政を左右する身分ではなく、魏にとっては蜀=費禕の国であって、 姜維はあくまでも国境を荒らし回る敵前線司令官、という存在であったと思われます。 それは国内でも同じ。所詮は外国人なわけですし、国境を預かってくれる頼もしい防壁、 というあたりが姜維の存在価値だったのでしょう。 いわばそんな立場の彼が、戦場だけの作戦行動に「歴史をひっくり返す」という気概を込め、 国境軍団を半ば強引に動員し、国境紛争を果てしなく繰り広げる… これは、気概壮なりと言えど、「亡国の業」と紙一重です。どうせ魏の国防体制と外郭軍の 配備は防衛に特化されてるのですから、どんなに暴れ回ったところで効果は薄い。 戦争する以外に国家の活路が無いにしても、もう少し大局的な作戦行動はとれなかったのか? それが取れ得ぬ立場なら、取り得る立場に付くための工作は行ったか? 行うだけの能力や組織 を手元で育てていたか? 戦争以外に何でも押しつけられ、なんでもブン回した剛腕宰相・陸遜と彼と、決定的に違う点ですね。 これらを総合して考えると、結局は「…戦うしかないじゃん俺_| ̄|○ 」という姜維の立場に立ち戻る ことになりますねえ。 国体の延命よりも、自分のできること、すなわち戦争を、手段ではなく目的として敢行した亡国の勇将。 長々と書きましたが、結局は>>1-10のまんまですな、私の意見。
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