*単刀赴会前後の呉・蜀についての質問*
8:2002/11/02(土) 13:54

クェン 2002年04月15日月曜日 01時01分

蜀派か呉派かと聞かれれば蜀派です。
ですが荊州問題に関しては呉を支持します。

劉備一味はいたいけな魯粛を利用して荊州を手に入れた、という印象があるので…
そういった意味では私もまだまだ演義の呪縛に囚われてます。
正史を読むと今度は青い孫権が劉備に利用されてますな。

まあ呉を支持するのはそれだけではありません。
荊州は古くは孫堅によって脅威にさらされており、荊州の民衆は孫呉を必要以上に恐れ憎んでいたと思います。
一方、劉備は劉表から直々に荊州を譲られたという噂のある人物。劉表は荊州に平和をもたらした英雄です。そんな劉表から荊州を譲られた劉備に対する荊州民の信頼はかなりのものだったことでしょう。
よって、民心はあくまで劉>孫だったと思います。

>呂岱は長沙を抑えた後、頻発する反乱を抑えたとある

単刀赴会での関羽の部下(おそらく荊州人)が「土地は徳のある者につくのだ」と叫んだのも上記のことが由縁だと想像しています。

民衆の支持を得ている劉備や関羽による荊州支配こそが正統なものであり、孫権がそんな状況の荊州を欲しがるのはある意味身の程知らずだと言えます。
ところが呂蒙が徹底した善政を敷いたことで、荊州民の心が呉を受け入れ始めたため、呉に荊州を支配する権利が移ったと考えられます。
そういった意味で私も荊州問題は「落ち着くところに落ち着いたな」と思います。

以上が荊州問題に関して呉を支持する理由です。
文章が下手なので意味不明かもしれませんが。

ところで関羽の出兵は侯音の乱に呼応したものだと思ってるのですが。そうすると、侯音が曹仁に斬られた時点で関羽の戦略は破綻してるので、そんな状況で于禁だけでも捕虜にできたのは幸運なのか…そしてこれで運を使い切ったのか。
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