下
将軍位について
1: 2002/11/02(土) 15:53 クェン 趙雲に関して質問。 ちくま文庫で「建興元年(223年)、中護軍・征南将軍になり、永昌停侯に封じられた。昇進して鎮東将軍になった。」とあるんですが… 征南将軍から鎮東将軍になるのって、格下げとしか思えないです。 中国語の原文でも、鎮東将軍になったことを「昇進」と表現してるのでしょうか?
2: 2002/11/02(土) 15:54 もす 2002年07月26日金曜日 07時29分 私が持っているのでいいますと、"遷"ですね。 決して"左遷"という意味合いを含むわけではないので、 字だけで格下げかどうかを判断するのは難しいところ。 私としては四鎮将軍と四征将軍の格差の少なさと、 劉備死後の巴方面の慰撫にあたったという点で、必ずしも格下げとは思えません。 それに、それほど早く九品官人法が伝播したというのも苦しいか……(^^ゞ
3: 2002/11/02(土) 15:54 惟新 2002年07月26日金曜日 14時42分 「遷」は「移る」と同義ですからね。何やら微妙な言い回し。 少し、私も考察して見ました。 まず鎮東将軍就任に関してですが、その当時はまだ呉との間がゴタゴタしていたでしょうし、なんだかんだ言ってまとまりの悪い蜀のこと、呉や魏に近い東方面は政情的に不安であったことが十分考えられます。ゆえに歴戦の将趙雲にそれなりの役職を与え、東方の安定を図る目的があったのではないでしょうか。 ではなぜすぐにそうせず、一旦中護軍・征南将軍を与えたかといえば、諸葛亮の軍権掌握の意図が考えられます。北は漢中の鎮北将軍魏延、東は永安の中都護李厳が掌握しています。残る南・西・近衛の軍を諸葛亮は掌握する必要があったのでしょう。そう考えれば、趙雲の任命も、陳到の征西将軍任命も合点が行きます。趙雲に掌握させた後、自らが直轄にするに当たって彼を東方に回したのでしょう。自分のところは大丈夫だから、と。 ではなぜ征東将軍ではなく鎮東将軍であったかといえば、蜀の東には呉があります。呉を征服するかのような官職を設けることはできなかったからでしょう。鎮東将軍であれば防衛軍の意味合いが強いですから、問題はないはずです。 また、その代わりに上級の位を与えなかったのは、李厳(ひいてはいわゆる益州閥)に対する配慮があったからかもしれません。李厳は中都護とはいえ、将軍位は輔漢将軍とそう高くはなかったようです。その彼を差し置いて孔明側の人間である趙雲を四将軍にでも任命すれば、いらぬ諍いを招きかねないとの配慮があったのかもしれません。もちろん、趙雲がそれほど評価されていなかった可能性も十分考えられます。 以上のように、役割に応じて将軍位が変わった、というのが真相だと愚考いたしました。もす様がおっしゃるとおり四征将軍と四鎮将軍との間にはさしたる差もなかったようなので、その辺は特に問題はなかったのかもしれませんね。 そう考えると「昇進」というのが違和感ありますが。
4: 2002/11/02(土) 15:54 むじん 2002年07月26日金曜日 23時30分 これって、私も疑問に思ったことがありました。 蜀で四征になったのは征西将軍黄忠、征南将軍趙雲、四平には平西将軍馬超ら(このほか征北将軍申耽、平北将軍馬岱など)がおります。そのうち黄忠は後将軍に、趙雲は鎮東将軍に、馬超は左将軍になってまして、蜀では征平の位階は、魏とくらべて低いような気がしました。
5: 2002/11/02(土) 15:57 惟新 2002年07月27日土曜日 11時04分 確かに。黄忠の件は存じませなんだが、私も馬超・趙雲の件では首をひねったことがあります。 考えられるとすれば、蜀に中心となる長安がない以上、四征や四平将軍等に本来的な役割がなく、名誉職的なものだったのかと。 いうなれば張飛の司隷校尉みたいなもので。 それに対して四方将軍は中央軍としての意味合いを持ち、三国とも実力重視で選ばれているところから鑑みるに、中身を伴った有力な将軍位だったのかもしれません。 申耽の征北将軍任用などはその典型な気がします。 そもそも蜀の将軍位階が一般に知られているものとは違う、特殊なシステムを持っていた可能性もあります。 このあたり、本格的に調べてみたら面白そうですね。
6: 2002/11/02(土) 15:58 ぐっこ 2002年07月27日土曜日 10時59分 そうですねー。結論から言いますけど…蜀はあくまで後漢王朝の続きですから、正規の「将軍」は7名。驃騎・車騎・衛と前・後・左・右。これに臨時任官の大将軍が加わって8名。 ほかの征西将軍やら討逆将軍やら破虜将軍やらは、雑号です。 魏とちがって強力な外軍を持つ必要も余裕もありませんので、四征も四鎮も四平も、有る意味「その他大勢」。魏のように品官もないようですし。 唯一の例外は「征西大将軍」の涼州刺史魏延で、これは7将軍格だったようです。 ところで、趙雲と陳到って、私の中では仲良く「武力89の美学」を貫いてます。南蛮王でも、頼もしい中堅旗本として活躍してますが…(;^_^A 郭淮とどっこいどっこい。
7: 2002/11/02(土) 15:58 惟新 2002年07月27日土曜日 11時14分 あ、ぐっこ様が(^_^;) 四征将軍などは基本的に魏のものとして説明されているものが多いのですが、なるほど、そういうことでしたか。 だから四方将軍だけは重んじられているのだと。勉強になりました。 ということは、魏のも呉のも蜀のも、将軍位を一緒くたにして説明するのは甚だ乱暴な話だったんですねぇ…
8: 2002/11/02(土) 15:59 ぐっこ 2002年07月27日土曜日 11時59分 あら、時間差のようで(^_^;) その国の将軍位の順番を知る一番手っ取り早い方法は、連名の上表文を見ることです。例外があるみたいですが、だいたい席次通り。 たとえば李平を告訴する孔明の上表だと、当時の蜀の階級が綺麗に並んでます。 ソレで思い出しましたが、今までキリ番景品に小出しにしてた北伐小説を、何か委員会コーナーにアプする予定。魏延が主役なんですが、途中で飽きて止めちゃったんですねえ…(^_^;) とりあえず学生時代バージョンを上げますが、時間が有ればきちんと一から書き直して完成したい…。今度は費イが主役で。
9: 2002/11/02(土) 15:59 惟新 2002年07月27日土曜日 20時33分 なるほど、連名の上表文ですか〜 それを使えば…あ、いろいろ面白そう! 大変勉強になりました〜m(__)m >北伐小説 おお、それは楽しみです。 費[ネ’韋]を主役にですか〜 彼は簡雍並にキャラが立っていますし、面白くなりそうですね。
10: 2002/11/02(土) 15:59 もす 2002年07月28日日曜日 10時46分 さっき気付いたんですが、張遼も征東将軍から前将軍になっているんですよね。 中文「転前将軍」。 以前、この話題は此方でしたような…
上
前
次
1-
新
書
写
板
AA
設
索
将軍位について http://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/sangoku/1036220021/l50