下
小説、書いてみました。
5:左平(仮名)2002/12/20(金) 00:15
四、
「卓よ。話がある」
「何でしょうか」
「私は、明日より再び出仕する」
「はい」
「そなたはどうするつもりだ?」
「私は出仕しておりませんから、もう少し父上の喪に服するつもりですが…」
「そうではない。喪が明けてからの事だ」
「喪の後ですか? いや、これといって…」
「そうか。まぁ、それはそれで良い。実はな、父上から、そなたに渡す様、頼まれたものがあるのだ」
「父上から? 私に?」
「そうだ」
「して、その物はどちらに?」
「この家の外にある。ついて来い」
「はい」
二人は、家の外に出た。空には、月と星が輝いている。吹く風にはまだいくらかの冷たさが残るものの、季節は着実に春に近付きつつある。
「これだ」
そういって董擢が見せたのは、一頭の馬であった。董家では、耕作用に何頭かの牛を飼ってはいるが、馬は飼っていないはずである。一体どうしたのであろう。
その馬は、大きさこそ普通であるが、見るからに精力に溢れている。去勢もしていない牡馬であり、どう見ても、農耕や雑用に使う代物ではない。
「兄上。この馬は…」
「驚いたか」
「驚くも何も…。一体どうなさったのですか?」
「どうもしないよ。父上が亡くなる前に、そなたに渡す様言い残しておられたんだ」
「本当に、私がこの馬を頂いてよろしいのですか?」
「もちろんだよ。今からこの馬は、そなたのものだ」
「私の…」
「父上が話しておられた。『卓は、わしやそなたとは違う。一つの県、一つの郡に留まる男ではなかろう』とな」
「まぁ、確かに、じっとしているのは苦手な性分ですが…」
「この馬に乗って旅立つのも良し、留まるのも良し。そなたの好きな様にすると良い」
「私の好きな様にして良いのですか?」
「そうだ。旅立ったからといって、帰ってくるなという事は言わんよ。帰りたくなれば、いつでも帰ってくれば良い」
「し、しかし。私ばかりが好き勝手にするというのは、兄上に申し訳ないですよ」
「いいんだよ。それで」
「しかし…」
「正直言って、私はそなたが羨ましかった。父上にも母上にもかわいがられてな。それにくらべ、私は…。そう思った事もある。しかしな。父上が亡くなられて、分かったよ。父上が、どれほど立派な方であったかが。冷静になって考えると、確かに、私とそなたとは違う。父上は、全く正しかったという事だ」
「…」
「一度、旅をしてみると良い。その後そなたがどう生きるか、それはそなたが決める事だ。父上や私が決める事ではない。この馬が、そなたの助けになれば良い。それだけだ」
「…」
董卓の眼に、涙が滲んでいた。父は、兄は、そこまで自分の事を考えていてくれたのか。良い家族を持った自分は、何と幸せであるか。
「さぁ、この馬に名前をつけてやれよ」
「そ、そうですね。そうだな…。赤兎、赤兎としましょう」
「赤兎?」
「えぇ。肌が赤いし、見るからに、よく走りそうですし。早く駆けるのを「脱兎の如く」って言ったりするでしょ?」
「そうだな。赤兎か。いい名だな」
「じゃ、決まりですね。 赤兎よ。私がそなたの主人だぞ。いいな」
これが、董卓と愛馬・赤兎との出会いであった。その数日後、董卓は旅立ったのである。
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