小説、書いてみました。
3:左平(仮名)2002/12/20(金) 00:11AAS
二、

董卓は、涼州は隴西郡、臨トウ【シ+兆】の人である。もと潁川郡綸氏県の尉・董君雅(君雅は字?)の次男として生まれた。
彼が生まれた時、父は既に初老と言ってよい年で、髪には白いものが多く混じっていた。董卓の記憶の中には穏やかな姿しかないが、若い頃は、相当な切れ者であったらしい。


礼教を重んじるとは言いながら、実際には家柄がものをいう時代である。さしたる名族ではない董氏に生まれた君雅の人生は、その殆どが、下級官吏としてのものであった。
官吏とは言っても、地位が低ければ、権限も低い。実際のところは、使いっ走りの様なものである。若き日の君雅は、そんな環境にあっても、くさらず、仕事に励んだ。若くして役所に出仕したから、きちんと学問をしたわけではない。しかし、六経(詩経、書経、易経、春秋、礼記、楽経)を極めたと称する高級官吏以上に、彼は職務に対して強い責任感を持って勤めていた。それは、誰に強いられたものでもない。
人は、何故、と思うかも知れない。儒学を修めていくら、という時代である。役所の仕事をいくら懸命に勤めたところで、名族の出でもない彼が出世などできるはずもないのに。
だが、彼は、希望を持っていた。身を修め、行いを正し、職分を守って勤めれば、認めてくれる人がいるのではないか、と。
数年勤め続け、ようやく実務にかかわる事ができる様になると、さらに仕事に励んだ。朝早くから夜遅くまで、一心不乱に職務に励む彼の姿は、傍目からすると、異常と思えるほどであった。結婚し、子供(董擢:董卓の兄)が生まれても、それは変わる事がなかった。

こう書くと、彼は仕事一途になるあまり、家族を軽んじた様に見える。だが、彼は、人一倍家庭を大事にする男でもあった。礼教にのっとって生きるなら、仕事と家族は、ともに大切なものである。どちらか片方を軽んじて良いというものではない。
その事務処理能力から考えると、彼の出世は遅かった。だが、彼は幸せだった。今の仕事はやりがいがあるし、周囲の信頼も厚い。家には、いとしい妻子がいて、夫婦仲も良い。子の擢は、頭も良く将来が楽しみである。だが…

彼が初老を迎えようとする頃、妻が亡くなった。何の前触れもない、突然の死であった。
埋葬が終わるまでは、それでも気丈に振る舞っていたが、埋葬が終わり、家に帰ると、急に涙が溢れ出てきた。全身から力が抜ける様な気がした。彼女の存在は、それほど大きかったのである。
「俺は、今まで何をやってきたんだ? 夫として、あいつに何をしてやれたのか?」
妻が生きている時は、それなりの事をしてきたつもりであった。浪費もせず、妾を囲う事もせず、妻一人をいたわってきた。しかし、いざ先立たれると、至らぬ事ばかりが思い起こされる。
できる事なら、このまま死んでしまいたい。そういう思いさえ頭をよぎる。しかし、幼い擢を残すわけにはいかない。自分でなければ処理できない仕事もある。死んでは、自らの責任を果たせない…

結局、彼は再婚した。新しい妻との間には、二人の子が生まれた。卓と旻である。
(こいつには、あいつの様な寂しい思いをさせたくない…)
前の妻が聞けば、「そんな事はありませんよ」と言うであろうが、彼は、前以上に、妻を、子供達をかわいがった。それが、彼にできる、せめてもの事であった。
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