下
小説、書いてみました。
4:左平(仮名)2002/12/20(金) 00:14
三、
董卓は、自由奔放に育てられた。父にきつく叱られたという事は殆どない。その育てられ方は、兄の董擢とは対照的であった。董擢は、長男として厳しく育てられていたのである。普通なら、その事について、不平の一つも述べるところであろう。だが、そういう事はなかった。彼には、父の思いが分かっていたからである。厳しく育てられたとはいえ、彼もまた、父の愛情を強く感じていたのであった。
董擢の自制もあって、董家には穏やかな月日が流れた。それは、一家の顔を見れば分かる。特に、妻の満ち足りた顔は特筆すべきものであった。夫に愛されているという安らぎがそうさせるのであろう。
董擢が成人し、出仕するのを見届けると、君雅は引退した。惜しまれつつ引退したその姿は、実に清しいものであった。
それからしばらくして、君雅は病に倒れた。一進一退を繰り返しながらも病状は徐々に悪化し、君雅は、自らの寿命を自覚した。
(こんなものか)
人はどう思うかは分からない。だが、自分の一生には悔いるところはない。完璧とはいかぬまでも、なかなかの人生であった。そう思うと、ふっと口元が緩む。
「そろそろ、お迎えが来る様だな」
君雅は、枕頭に家族を呼んだ。家族の者が哀しげに見守る中、長男の董擢に話しかけた。
「擢よ」
その声は弱々しかったが、董擢には不思議なほどはっきりと聞こえた。父の遺言であるという意識がそうさせたのであろうか。
「後の事、よろしく頼むぞ」
「はい…」
「うむ」
その後も、何か話していた様である。だが、それが聞こえたのは、董擢一人であった。
それから間もなく、君雅は息を引き取った。
葬儀が終わると、家族は喪に服した。普段は快活な董卓も、この時期は寡黙であった。本来、堅苦しい事は大嫌いなのだが、喪については、苦にならなかった。彼にとって、父の死は大きな衝撃であった。
葬儀には、役所の元同僚や部下の人々が参列した。彼らは、口々に故人を称えた。父を敬愛する董卓にとっては、その賛辞は喜ばしいものではあったが、一方で、やり切れないものがあった。
(父上は、実に立派に生きられた。これほどの人の子として生まれ育った事は、我が誇りである。だが…。では何故、それほどの人物が県の尉という低い官職に留まったのか?)
董卓は、父の為に憤慨した。
「三年の喪」(二十五ヶ月説と二十七ヶ月説とがある)とは言うが、それを実践する事ができるのは、衣食に全く事欠かない、ごく一部の富裕層のみであった。庶民がそんな事をしていたら、たちまちにして飢えてしまう事であろう。董家も、例外ではない。規定上の服喪期間が終わると、董擢は、直ちに職務に復帰する事になる。
喪が明ける、前の日の夜の事である。董擢が、董卓に話しかけてきた。
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