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小説 『牛氏』 第一部
107: 左平(仮名)2004/01/12(月) 22:33
もう一つは、彼を復位させたのが「遺詔」だったという事である。最大の庇護者であった兄、桓帝はもはやこの世におらず、そのあとを継いだ今上帝(霊帝)は、桓帝・劉カイ【小+里】兄弟との血縁は薄い(桓帝の祖父と霊帝の曽祖父が同一人物【章帝の子・河間王の開】。二人は【共通の祖先から見ると】おじとおいという関係になるが、ともに帝位に就く前は地方の諸侯に過ぎなかったので、関係は疎遠であったと思われる)。
桓帝の御世においては皇弟であった彼も、霊帝即位後は、単なる一皇族に過ぎないのである。
いや、それだけではない。「先帝の弟」ともなれば、桓帝が男子なく崩じた(実際そうであった)後、そのあとを継ぐという可能性もあったわけだし、それを主張するだけの正当性も充分にある。その様な存在は、新たに皇帝となって間もない霊帝にとっては決して快いものではなく、むしろ疎ましくさえあったろう。劉カイ【小+里】という個人に対しては別段どうという感情はないにしても、彼が、自らが帝位に就く事の正当性を主張したりすれば、国論は分裂し、大変な事になるかも知れないのであるから。
そういった点に思いを馳せておれば、いったん約束しておきながら、王甫に銭五千万を渡さないという事が、どれほど危険であるかというのは分かり得たはずである。王甫が、実際に復位の為に動いたかどうかは関係ない。劉カイ【小+里】が渤海王に復位できたのは事実なのであるから、約束した銭は、渡すだけは渡しておいた方が無難というものであった。
そんな中、劉カイ【小+里】を擁立しようとする動きがあった。当時中常侍の地位にあった鄭颯や中黄門の董騰といった面々が、その為に動いていたのである。
その動きには「先帝の血筋により近い人物をたてるべきである」という一応の正当性はあったが、実のところはそんな奇麗事ではない。彼らは王甫と対立しており、自分達で皇帝を擁立する事で、優位に立とうとしていたのである。その、擁立する候補として挙がったのが、他ならぬ劉カイ【小+里】であった。
数回にわたって(使者が)行き交ったというから、彼自身も乗り気だったのかも知れない。
しかし、である。既に新皇帝(霊帝)が即位している今、その様な動きをし、それが発覚すればどうなるかは、言うまでもなかろう。
熹平元(172)年、ついにその事実が発覚した。王甫は素早く動き、政敵となった鄭颯を獄に下すと、尚書令の廉忠にその事を奏上させた。史書には「誣」の字があり、その点がややすっきりしないものがあるが、何分彼には、以前にも嫌疑をかけられたという前歴がある。
疑われてもおかしくはなかったし、探せば怪しい所の一つもあった。
廷尉が劉カイ【小+里】の前に現れた時、彼は、ようやく自らの軽率さを悔いたかも知れないが、既に手遅れであった。
同年十月、劉カイ【小+里】は自殺して果てた。ただ、謀反の疑いによるものであっただけに、事は彼一人の死では済まなかった。十一人の后妾、七十人の子女、妓女二十四人が投獄され、獄中で命を落とした。さらに、監督不行き届きの故をもって、王国の傅、相もまた誅殺された。
とはいえ、いささか軽率なところはあったにせよ、非道な事はしていなかったらしく、その死を庶民は憐れんだという。
かくして、王甫は銭五千万の怨みを晴らした。しかし、劉カイ【小+里】を死に追いやったところで、反故にされた銭が手に入ったわけではない。それどころか、さらに厄介な事態を招く事になったのである。牛輔達にも関わってくるその一連の『事件』は、まだ始まったばかりであった。
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