小説 『牛氏』 第一部
28:左平(仮名)2003/03/23(日) 21:59AAS
十四、

「あなた。もう遅いですよ。そろそろお休みにならないと」
既に寝支度を整えた姜が、床の中から心配そうに言う。いつもならば、寝支度が整ったとなると、飛びつく様に床に入り、自分を抱きしめるというのに。父が言い出した事で、夫が悩み苦しんでいるのであろうか。だとすれば、やりきれない。
「やはり、迷われているのですね」
「ん?」
「董氏の別邸に移るという事は、あなたが董氏の一員になる。少なくとも、世間はそうみなす。そういう事なんですよね」
「まぁ、そうであろうな」
「牛氏は、董氏よりも家格が上。その嫡男が、董氏の下風に立つのはいかがなものか。迷われるのも、無理はありません。…父は、いったんこうと決めたら後先考えずに行動するところがあります。難しいと分かれば無理はしませんから、そう気を使われる事はありませんよ」
「いや、その事については、迷ってはおらんよ。私は、董氏の別邸に移ろうと思う」
「えっ?なぜですか?」
「私が董氏の婿であるというのは事実だ。父上も反対していない以上、婿が義父に従うのは当然であろう。それに、そなたにとっても、ここよりも我が家の方が過ごしやすいはず。…我が母は、父上と結婚する為に家族から引き離されたという。母が若くして亡くなったのは、そのせいかも知れぬと父上はおっしゃっていた」
「でも…。わたしは、伯母上…いえ、お義母様と違って家族と引き離されたわけではありませんよ。本当に幸せです。それに体の方も、ほら、こんなに元気ですし」
確かに、姜の顔色は良く、病の気などみじんも感じさせない。
「まぁな。しかし…」

(んっ?)

そう言いかけた牛輔の頭に、ふっとある事が浮かんだ。
(そういえば、私と姜が従兄妹ではないかという時に、なぜ父上はかくも冷静だったのだろうか?)

姓が異なるから世間にとやかく言われるものではないというが、血のつながりがあるかも知れないというのは事実である。にもかかわらず、父は、この事については一切問題視しなかった。問題ないというどころではない。むしろ、望ましいとさえ思っていたのではないか。そんな気がする。
では、なぜ望ましいと思ったのであろうか。

(私も、姜も、ともに母は羌族の娘だ。二人の母が姉妹だったというのは、さすがに意外であったろうが。…つまり、二人は羌族の血を引く者。二人の間に生まれるであろう子もまた、羌族の血を引く者となる…)
(であれば、何にせよ、羌族とのつながりを否定する事はできない。我が牛氏は、代々羌族と対立してきたが、そうもいかなくなっているというわけだ。なにしろ、私自身、羌族の人間でもあるわけだから…)
(そんな私が牛氏の跡目を継ぐ事になれば…。牛氏のあり方が、今までと大きく変わるという事になる。また、そうならざるを得ないだろう。弟が継いだのでは、そうはならないが)
(父上は、そうなる事を見越して、あの様な事をおっしゃったのであろうか。そなたが牛氏のあり方を変えよ、という事なのか。私が董氏の別邸に移るのに反対しないというのも、そうせよという婉曲な意思表示なのか…?)
(だとすれば、私は父と義父から、えらく期待されている事になるな…。そんなに期待されても、応えられるかどうか分からないってのに…)
(まぁ、移る事自体はもう決めたから、返事はできる。その時にでも、父上に聞けばいいか)

自分の中で、一応の結論が出た。そうなると、急に気が軽くなった。
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