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小説 『牛氏』 第一部
35:左平(仮名) 2003/04/13(日) 20:12 「こいつらは、目が良い。それに、一人で戦うほど無謀ではないし、逃げ出すほどの腰抜けではない。それではいかんか?」 「いえ、そうではなくて…。彼らは、体格といい、経験といい、てんでばらばらではございませんか。それでは、報告にぶれが生じるのではありませんか?」 「ふむ。そなたの言う事にも、一理ある。だが、わしにはわしの理がある」 「そうですね。よろしかったら、教えて下さいませんか?」 「そうだな。後学の為にも、話しておこうか」 「そなた、『孫子』は読んだ事があるか?」 「はい。まだ、十分に理解したとまでは言えませんが…」 「まずは、読んでおれば良い。読んでおるのならば、『彼を知り己を知らば百戦して殆うからず』という言葉は知っておろう?」 「はい。存じております。ですが、その言葉がいかがしたのですか?」 「人とは、不思議なものよ」 董卓は、静かにそう言った。そう言う彼の姿は、普段の豪放な姿とはまた違うものがある。 (義父上に、この様な一面があるのか…) 武勇の人・董卓にこの様な思慮深さがあるとは、正直、意外であった。だが、郎中ともなれば、それ相当の修練を積んでいるもの。別段、不思議な事ではない。 「他人の事については、凡人でもそれなりに批評できるというもの。近頃、汝南の方にそういう輩がいるらしいな。確か、許子将(許劭。子将は字)とかいったか。まだ、ほんの若造だというのにな。…だが、こと自分の事になると、なかなかそうもいかぬ」 「確かに」 「たとえば、こいつをどう見る?」 そう言って董卓が指差したのは、精悍な面構えをした青年である。 「私には、逞しい男だと思われますが…」 「そなたにはそう見えるか。だが、わしには、まだまだひよっ子に見える」 「それはそうでしょう。郎中殿より逞しい男は、そうはおりませぬから」 お世辞ではない。事実、董卓の体格・膂力は、誰から見ても並外れたものであった。 「そこなのだ。同じものを見ても、見る者によってこうも違ってくる。…事実というものは、確かに一つしかない。しかし、一人が見たものは、あくまでも『その者が見た事実』に過ぎぬのだ。…何を言いたいか、分かるか?」 「はい。まだおぼろげにですが、郎中殿のおっしゃる事が分かってきました。様々な視点から物事を見る事で、『本当の』事実に近付こうというわけですね」 「そうだ。わしがこいつらを偵察に遣るのは、そういう意図からだ」 「そして、彼らの知らせを、将たる郎中殿が分析し、判断なさると」 「そういう事だ。もちろん、わしが的確な判断を下せるという前提があってこそなのだがな」 「そうですね」 「恐らく、ここ涼州までは来ぬであろうが…鮮卑にも注意せねばな。我らの兵力では、檀石槐には勝てぬ。まぁ、わしにとって怖いのはそれくらいだ。だが、気をつけぬとな。そなたに万一の事があったりすれば、姜に怒られてしまう」 「それは…」 こんなところで妻の名を出されるとは。何とも気恥ずかしい。 「では、行けっ!」 「はっ!」 董卓の号令のもと、数名が偵察に放たれた。
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