小説 『牛氏』 第一部
46:左平(仮名)2003/05/18(日) 21:19
二十三、

年が明けて、正月。
「あぁ、正月だ。新たな年が始まったんだな」
牛輔は、昇る朝日を眺めながら、そんな事を呟いた。もう二十回以上も経験したはずの正月が、妙に新鮮なものに感じられたのである。
(そぅか…。去年の今頃と今とでは、何もかも違うんだったな。正月も、違ってて当たり前か)
省33
47:左平(仮名)2003/05/18(日) 21:22
数日後。董卓とその家族が訪れ、一族が揃った頃、姜は産室に入った。庶民の場合は、産婦が一人で身の回りの処理をする事もあった様だが、地方豪族たる牛氏の妻ともなれば、そういう事はなかったであろう。とはいえ、産みの苦しみ自体は、どうする事もできない。
(無事に産まれてくれよ)
もう、気が気ではない。夫である牛輔は、席が温まる暇もなく、立ったり座ったりを繰り返せば、父の董卓も、落ち着いている様に見せてはいるものの、時々せわしなく体を揺らしている。
こういう時には、男達は何の役にも立たない。その能力とはかかわりなく。
「伯扶殿、その様にそわそわなさっていても何にもなりませんよ」
さすがに何度も出産を経験している義母の瑠は落ち着いている。
省30
48:左平(仮名)2003/05/25(日) 21:25
二十四、

「伯扶よ。どっちが先に入る?」
「えっ?そっ、それは…」
二人とも、早く赤子の顔を見たいのではあるが、どこかためらいがある。

省40
49:左平(仮名)2003/05/25(日) 21:28
「…そなた、赤子がどこから産まれるか知っておるか?」
「えっ?」
「知らぬか」
「はぁ…」
「ここだよ」
そう言って董卓が指し示したのは、自分の股間であった。
省33
50:左平(仮名)2003/06/01(日) 22:55
二十五、

二人は、産室に向かった。
先ほど、あれほどためらわれたのは何だったのだろうかというほど、今度はすんなりと入れた。
産室は、どこか異質な雰囲気を漂わせている。室そのものには、何も特別な装飾などは施されてはいないのだが、どうもそういう気がしてならない。
(どうしてだろうか?)
省42
51:左平(仮名)2003/06/01(日) 22:57
「慌てる事はありませんが、きちんと考えておいてくださいね」
「え、えぇ…」
「それと、あれを片付けてくださいね」
「え? あれってのは?」
「ほら、あれですよ」
そう言って瑠が指差したのは、さっき見た、血に塗れた物体であった。
省38
52:左平(仮名)2003/06/08(日) 22:22
二十六、

当時の中国人は、宇宙の構造を「天は円(まる)く地は方形」であると捉えていた。半球状の天が、方形の地に覆い被さる形とみていたのである。この様な考え方を「蓋天説」という。実際、地から天を眺めると、巨大なド−ムの中にいる様な感じがしないではない(そう思えるのは、現代の我々が地球は丸いという事を知っているがゆえの事かも知れないが、実のところはどうであろうか。円屋根の建物もあったらしいので、一概には言えない)。
後には、より精緻な「渾天説」が登場するが、一般的には、なお「蓋天説」が信じられていた。
牛輔が長子につけた「蓋」という名には、その様な大きな意味が込められていたのである。
ただ、董卓が満足げにうなづいたのは、それとはいささか異なるところにあった。彼が反応したのは、「天蓋」の「天」というところに対してである。
省28
53:左平(仮名)2003/06/08(日) 22:24
子が産まれた事で、牛輔夫婦の生活にも、相当の変化が生じた。
赤子には何もできないし、言う事を聞かせる事もできない。躾をしようにも、ある程度育たない事にはどうにもならない。どうしても子が中心の生活となる。
また、若者が多いこの邸内では、子育てに慣れた者は少ない。実家から、経験豊かな家人達を呼び寄せたりしながら、何とかやりくりしている状態であった。

それゆえ、夫婦の間にも、多少の波風が生じた。
二人とも互いに強く相手を意識しているのではあるが、ともに初めての子育てであるので、どうしても子に目が向きがちであった。その為、しばらく疎遠になっていたのである。
省42
54:左平(仮名)2003/06/15(日) 21:01
二十七、

忙しくはあったが、子育ての日々は、概ねこの様に平穏なものであった。
蓋は、普通の赤子よりも大柄で、乳もよく飲む。十分に栄養をつけた彼は、すくすくと育っていた。
そんなある日、牛輔邸に一人の来客があった。

省42
55:左平(仮名)2003/06/15(日) 21:03
「そういう事か。それなら、喜んで相談に乗るよ。しかし、そなたを見ると、私が偉そうに教える事もなさそうだがな」
「まぁ、いくらか書を読んではおりますが…。私一人で決めるのも不安なもので」
「そういうものか。…分かった、ちょっと待てよ。その類の書を持ってくるから、二人でじっくりと考えようではないか」
そう言うと、牛輔は席を立った。

「う−む…。こんなものかな」
省45
1-AA