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小説 『牛氏』 第一部
60:左平(仮名)2003/07/06(日) 21:15
三十、
「さて、最後はそなただな」
笑い終わった董卓は、もう一人の男に声をかけた。
「えぇ」
男は、愛想なしに一言そう答えた。先の二人に比べると、いささかもの堅い感じがする。我が強そうだ。悪い男ではなさそうだが、いささか扱いにくそうにも見える。
省35
61:左平(仮名)2003/07/06(日) 21:17
「私の生まれ育った武威郡という所は、都からみれは、いよいよもって辺境の地です。それゆえ、周りには羌族が多くおります。いや、羌族の中に漢人が点在しているという具合です」
「ふむ。そうであろうな」
「私も、幼い頃から羌族とよく遊んだものです。我が一族の中には、羌族と姻戚である者も多くおります。彼らには、我が一族が漢人であるという意識が薄いのです」
「そうか。…そういえば、羌族には字という考え方がないな」
「そうです。それゆえ、私が字をつけるのはまずいのです」
「そこが分からないのだが。どうして字をつけるのがまずいんだい?」
省29
62:左平(仮名)2003/07/13(日) 19:31
三十一、
(ほほぅ…。さっそく、いい機会が訪れたな)
董卓にとっては、願ってもない状況であった。自分の眼前で、牛輔の、将としての力量をみられる機会が転がり込んできたのである。
いつもなら、「賊が現われた!」となれば真っ先に腰を上げる彼が、今日は動かない。動きたくはあるのだが、ここはこらえた。ここで自分から動いては、牛輔の力量をみる事はできない。
(さて、伯扶はどう反応するかな?)
省36
63:左平(仮名)2003/07/13(日) 19:33
しばらくして、盈が戻ってきた。まだ、こちらの支度もできていないというのに、もう偵察を終えたのであろうか。
「ずいぶん早いな」
「そうですか?きちんと賊は探ってまいりましたよ」
「そうか。ならばよい。して、賊の状況は?」
「はい。数は二、三百といったところです。やつら、どうやらテイ【氏+_】族ですね」
「テイ【氏+_】族?」
省33
64:左平(仮名)2003/07/20(日) 20:55
三十二、
(ここは…一体…。俺は、どうしたのだろうか…)
男は、微かな意識の中、その記憶を辿っていた。自分の身に何が起こったのか、まだ把握できていなかったのである。
(頭が…痛い…。腕が…動かない…。足も…。目も…見えない…こ、これは…)
(俺は…死んだのか…。いや、頭が痛むという事は、生きているという事ではないのか…)
省34
65:左平(仮名)2003/07/20(日) 20:58
「おい、こいつ、目を覚ましたらしいぜ」
男の声が聞こえた。どうやら、賊の一味らしい。やや独特の訛りが感じられる。
(そうか、テイ【氏+_】族か)
漢人ではないらしい。この事に、何か意味を見出せないだろうか。もっとも、そんな事を考える間もなかった。
「起きたんなら、こっちに来な」
賊は、男の体をつかみ、軽々と持ち上げると、そのまま仲間のところに向かった。
省37
66:左平(仮名)2003/07/27(日) 21:48
三十三、
(んっ?まさか、また賊か?いや違う。あの旗印は…「牛」?一体どこの軍だ?…あっ、後ろに「董」の旗印も…。そうか、これが董氏の軍団か…)
ともかく、味方には違いない。そう思うと、安心感と、疲労と、空腹とがあいまって、急に目眩がした。
「おい、どうした!しっかりせい!」
男の姿に気付いた兵達が駆け寄り、肩を貸した。
省45
67:左平(仮名)2003/07/27(日) 21:51
(ふむ。盈の報告はだいたい合っているな。こちらは千程度だから…勝つ事自体は、さほど難しくはない)
「女子供の姿は?」
「見てはおりません。とはいえ、賊がテイ【氏+_】族となると、家族の者もおるやも知れず、いないと断言する事もできません」
(ふむ…。そうなると、いささか考えねばならぬな)
賊に対しては、いささかも容赦するつもりはない。だが、いるかも知れない人質や女子供に危害が及ぶのは避けたいところである。敵の虚を衝き、速攻で片をつけねばならないのである。
省31
68:左平(仮名)2003/08/03(日) 21:53
三十四、
牛輔が目を開けた時、空一面に星が瞬いていた。まだ、真夜中である。だが、夜明け前に夜襲をかけるとなれば、決して早すぎるという事はない。
(よし、出撃だ!)
もう賊の隠れ家は近い。昨日から馬に枚を銜ませているくらいであるから、大声を出すわけにはいかない。細かく伝令を発し、小声で命令を発するさまは、傍目には滑稽に見えるが、やってる当人にとっては真剣そのものである。
「どうやら、指示は行き渡った様だな」
省37
69:左平(仮名)2003/08/03(日) 21:58
「中の様子はどうなっておる」
「ただいま探っております」
攻撃がまだ続いている中、早くも戦後処理が始まった。むしろ、この方が重要だという雰囲気さえある。
「生存している人質がおれば、丁重に保護せよ。賊の妻子については、よほどの抵抗をする者を除き、なるべく生け捕りにするのだ。くれぐれも、余計な殺傷をするでないぞ。よいな」
「承知いたしました」
賊の妻子を殺さずにおくというのは、何も人道的な見地に立っての事ではない。内燃機関のないこの当時、人間の労働力は実に貴重なものであった。多くの人間を保持しているという事が、そのまま富の源泉となるのである。そう考えると、この指示は、至極当然の事であった。
省25
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